日本大百科全書(ニッポニカ) 「カプガン・ハガン」の意味・わかりやすい解説
カプガン・ハガン
かぷがんはがん
Qapγan qaγan
(?―716)
突厥(とっけつ)第二帝国第2代のハガン(在位691~716)。中国史料では黙啜可汗(もくてつかかん)と記される。第二帝国を建てたイルテリシュの弟。初め西半部を支配する殺(シャド)の官にあったが、兄の病死後ハガン位を奪い、則天武后と接近し契丹(きったん)を攻撃、さらに中国北辺の突厥降戸(こうこ)を得たころから強大化した。699年に、弟と、イルテリシュの子で後のビルゲ(毗伽)・ハガンとを東西の察(シャド)に任命し、その後も一時、中国に侵入した。晩年はキルギス、トゥルギシュ、カルルク、ビシュバリクを討ち、九姓鉄勒(てつろく)(トクズ・オグズ)を壊滅させたが、鉄勒諸部の一つバイルクをトーラ川に破ったのち、残兵に殺された。彼の一派はビルゲ・ハガン即位時(716)に粛清され、彼自身も突厥碑文でよい評価を与えられていない。
[片山章雄]