キルギス(読み)きるぎす(英語表記)Kyrgyz Republic 英語

共同通信ニュース用語解説 「キルギス」の解説

キルギス

1991年にソ連から独立宣言。99年にはイスラム武装勢力が日本人鉱山技師4人を拉致。後に解放された。面積は日本の約半分で、人口約652万人(2020年推定)。民族は北部に多いキルギス人、南部に多いウズベク人に大別される。国民の約9割がイスラム教徒キルギス語を国語、ロシア語を公用語とし、外交面ではロシアを重視しつつ、中国や米国とのバランスにも配慮。独裁的な政権が目立つ中央アジアの中では、言論の自由や海外の非政府組織(NGO)の開設が寛容に認められ、比較的民主的とされる。(共同)

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精選版 日本国語大辞典 「キルギス」の意味・読み・例文・類語

キルギス

  1. ( Kirghiz )
  2. [ 1 ] 〘 名詞 〙 トルコ系民族。漢代からモンゴル高原北西部のエニセイ川上流域に都市を築き、部族国家を形成していたが、一三世紀頃から天山山脈の北西に南下。コーカンド‐ハン国や清朝の支配をうけ、一八六四年以降はロシアに服した。革命後、一九三六年ソ連邦内のキルギス社会主義共和国を構成。現在はキルギス共和国を中心に一部は中国にも居住している。漢字で、黠戞斯・乞児吉思と書くこともある。堅昆(けんこん)。鬲昆(かくこん)。結骨(けっこつ)。契骨(けいこつ・きっこつ)
  3. [ 2 ] 中央アジア南東部の共和国。天山山脈の北西に位置し、牧畜・綿花栽培が盛ん。一九九一年のソ連邦解体に伴い独立してキルギスタン共和国となり、九三年にキルギス共和国に改称。首都ビシュケク

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス(国)
きるぎす
Kyrgyz Republic 英語
Kyrgyz Respublikasy キルギズ語
Республика Киргизия/Respublika Kirgiziya ロシア語

中央アジアの北部に位置する共和国。キルギスタンKrygyzstan、あるいはロシア語でキルギジアともいう。かつてはソビエト連邦を構成する15共和国の一つ、キルギス・ソビエト社会主義共和国Киргизская ССР/Kirgizskaya SSRであったが、ソ連崩壊(1991年12月)に先だつ1991年1月5日、国名を一時キルギスタン共和国とし、同年8月ソ連からの独立を宣言した。1993年5月、キルギス共和国の名に戻した。

 北部はカザフスタン、西部はウズベキスタン、南部はタジキスタン、東部は中国と境を接している。面積19万9951平方キロメートル、人口519万2000(2006推計)。住民はキルギス人が64.9%を占め、ほかにウズベク人(13.8%)、ロシア人(12.5%)、ウクライナ人(1.0%)などからなる(2009)。北部のビシュケク(ソ連時代の名称フルンゼ)と西部のフェルガナ盆地、東部のイシク・クリ湖畔に集中して住んでいる。イシク・クリ、ナリン、オシュ、タラス、ジャラル・アバト、チュイ、バトケンの7州があり、首都はビシュケク(人口83万7000、2007推計)である。

[山下脩二・木村英亮]

自然

東西900キロメートル、南北410キロメートルの比較的短い距離にもかかわらず、地形の変化が著しい山国で、高峰ポベーダ峰(7439メートル)を擁する天山山脈の大半を占める。チュー川やナリン川、タラス川などの河谷が山地部を刻んでいる。南西部はフェルガナ盆地の東縁にあたり、ナリン川など多くの河川はシルダリヤ水系に属する。平均気温は、河谷で1月零下6℃、7月15~25℃を記録する。年降水量は中央部で200ミリメートル、北西斜面で800ミリメートル程度である。そのため植物相は砂漠的ないしは半砂漠的であり、山岳部では山地ステップ(短草草原)や森林が広がる。

[山下脩二・木村英亮]

歴史

キルギジアには紀元前7~前6世紀に階級社会が生まれた。紀元後6~12世紀にはカラ・ハン朝などトルコ系の国家に、13世紀にはモンゴルに支配され、15世紀後半にキルギス民族体が成立した。フェルガナ地方は19世紀前半コーカンド・ハン国に征服された。帝政ロシアの中央アジア進出に伴い、1860~1870年代に全域がロシアに含まれることになり、ロシア農民の移住地となった。

 1917年十月革命後、11月から翌1918年なかばまでの間に、スリュクタ、キジル・キヤをはじめとして、ソビエト政権が全土で勝利し、キルギジアは5月に成立したトルキスタン自治共和国の一部となった。バイ(地主)やイスラム僧は1918年春からバスマチ運動とよばれる反ソ暴動を組織したが、1920年11月ごろまでにほぼ鎮圧された。1921~1922年には反植民地主義的土地・水利改革が行われ、6000人の農民が19万9000デシャチナ(1デシャチナ=1.092ヘクタール)の土地を受け取った。1924年、中央アジア民族的境界区分によって、キルギジアはトルキスタンから分離し、ロシア共和国内のカラ・キルギス自治州となり、1926年自治共和国に昇格、さらにのち1936年にキルギス・ソビエト社会主義共和国となった。

 ソ連で1980年代後半からペレストロイカ(建て直し)が進行するなかでキルギスの最高会議は1990年12月に主権宣言を行い、1991年ソ連の八月クーデター事件直後の8月31日にソ連からの独立宣言を採択した。当時の大統領アカエフは物理学者で、クーデター事件の際にはただちに反対の意志表示を行った。

 1993年5月5日、最高会議で新憲法が採択された。これはソ連解体後、バルト三国以外では初めて採択された憲法である。アカエフは1995年12月24日の大統領選挙で72%を得票、1996年2月には大統領に組閣権を与えるなど大統領権限を強化する方向で憲法を改正し、国民投票で94.5%の支持を得た。2000年に行われた大統領選挙で3選。しかし、アカエフは政権が長期化するにつれて独裁色を強めていき、汚職の蔓延(まんえん)や野党弾圧、報道統制などに国内外からの批判を浴びた。2005年2月から3月にかけて行われた議会選挙では与党が勝利したが、選挙結果を不満とした野党側の訴えをきっかけに大規模な反政府運動がおこった。同年3月24日に反政府勢力はビシュケクの政府庁舎、大統領府等を占拠し、アカエフはロシアへ亡命、4月5日大統領を辞職した。同年7月には大統領選挙が行われ、アカエフ政権下で首相を務めたバキエフKurmanbek Bakiyev(1949― )が当選した。2009年7月の大統領選挙でバキエフは再選されたが、国家の私物化や2010年1月実施の公共料金引上げなどで国民の支持は下がっていった。2010年4月に発生した政変によりバキエフは辞任、元外相のオトゥンバエワRoza Isakovna Otunbayeva(1950― )を議長とする暫定政府が発足した。6月には新憲法とオトゥンバエワ暫定大統領信任の是非を問う国民投票が行われ、7月に新憲法が発効、オトゥンバエワも2011年12月31日までの暫定大統領となった。なお、政変発生以降もキルギス系とウズベク系の民族衝突により多数の死者がでるなど不安定な情勢が続いている。

 1993年憲法では、大統領は議会・立法権、内閣・行政権、裁判所・司法権の三権の上にたつ憲法制度の保証者とされていたが、1996年2月には大統領の権限を強めるよう改正された。しかし2010年7月発効の新憲法では大統領の権限を縮小し、議院内閣制を採用している。ロシアおよびロシア系住民に対しては、1992年6月に「友好・協力および相互支援に関する条約」を結び、スラブ大学を創設するなど友好的な政策をとっているが、国家言語はキルギズ語と規定されており、二重国籍は認めていない。

 ソ連からの独立に伴い、1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)設立協定に調印し、CISの加盟国となった。1992年6月の大統領令によって、領域内の旧ソ連軍を管轄下に置いたが、それより先、同年5月にタシケントで開かれたCIS首脳会議で、ロシア、アルメニアおよびトルクメニスタンを除く中央アジア3か国と集団安全保障条約を結び、10月にはロシア保安省と国境軍の地位に関する協定を締結した。また、1994年7月ロシアと軍事同盟を結んだ。中国、トルコ、イランなどCIS外の周辺諸国との関係も相互に強めつつある。1994年6月北大西洋条約機構(NATO(ナトー))の「平和のためのパートナーシップ」(PFP)協定の枠組み文書に調印した。

[山下脩二・木村英亮]

産業・経済

国土全体の54%(2005)が農業に利用されている。ブドウ、綿花、タバコ、アンズなどの栽培に適した気候条件下にあり、なかでもフェルガナ盆地は綿花の単一栽培地域として名高い。従来多くの地域で水不足に悩まされていたが、豊富な万年雪や氷河を水源とし、これらから水を引き入れることによって砂漠地帯の灌漑(かんがい)が飛躍的に発展し、古くから営まれている牧羊業に加えて、果樹、穀物、テンサイ(サトウダイコン)、タバコなどの栽培が盛んになった。また、大麦、小麦も栽培され、これによって穀物は完全に自給されている。

 地下資源は、金や水銀、アンチモンのほか、レアメタルの豊かな鉱床があり、石炭、石油、天然ガスも産出する。工業は食品加工などがおもで、エネルギー資源に乏しく自立がむずかしい。綿繊維、羊毛、肉類、タバコなどの農産物や金、水銀などの鉱物資源を輸出し、石油、天然ガスなどの燃料および機械設備、化学製品などを輸入している。おもな貿易相手国はロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、中国、スイスなどである。

 1994年4月末、カザフスタン、ウズベキスタンと3国で関税の相互撤廃などを柱とする共通経済圏創出に関する条約に調印、7月8日中央アジア協力開発銀行の設立で合意するなど、隣接国との経済協力を強めている。しかしソ連解体による分業体制の崩壊による打撃が大きく、アカエフは1995年にも「破局的状況」と述べた。経済改革も、資金が不足で民間投資の拡大が求められているが、インフレのため長期の見通しが立てられなかった。市場機構やインフラストラクチャー(経済基盤)の不十分さ、関係者の未経験などが障害となっているが、IMF(国際通貨基金)や世界銀行の支援を受け、経済の立て直しをはかっている。日本も1992年4月に渡辺美智雄(1923―1995)が副総理兼外相としてビシュケクを訪問して大統領と会談し、10月には緊急人道支援を実施している。主要援助国は日本のほか、アメリカ、ドイツ、イギリス、スイスである。1994年4月にはアジア開発銀行にも加盟した。海抜1606メートルのイシク・クリ湖などの観光資源もあり、観光開発を進めることも必要であろう。

 1993年5月にそれまでのルーブルにかえ、独自の通貨ソムの発行に踏み切り、インフレの抑制に努めた。

[山下脩二・木村英亮]

社会

口伝の英雄叙事詩『マナス』は重要な文化遺産である。中央アジアのイスラムはしばしば過大な評価をされるが、ここではカザフスタン、トルクメニスタンなど旧遊牧地域と同じく、イスラムが政治的に大きな役割を果たすことはないと考えられる。文字は1928年にいったんラテン文字が採用されたが、1940年にキリル文字(ロシア文字)に変えられた。キリル文字とロシア語はすでにキルギス人のものとなっており、1993年にはビシュケクにキルギス・ロシア(スラブ)大学も開学した。ロシアとの文化的関係は簡単には消えないであろう。

 義務教育は初等教育4年、中等教育5年の9年間。キルギズ語が国語で、ロシア語が公用語として使われている。

[山下脩二・木村英亮]

『栗本慎一郎著『シルクロードの経済人類学――日本とキルギスを繋ぐ文化の謎』(2007・東京農業大学出版会)』『今井正幸・和田正武他著『市場経済下の苦悩と希望――21世紀における課題』(2008・彩流社)』『清水陽子著『シルクロードを行く――中央アジア五カ国探訪』(2008・東洋書店)』



キルギス(人)
きるぎす
Kirghiz

シベリアおよび中央アジアのトルコ系民族の一つ。クルグズ(柯尓克孜)と自称するので、より正確な表記は「クルグズ」だが、慣習的にキルギス、キルギズとして通行している。キルギス人は紀元前よりエニセイ川上流域の森林狩猟民として中国の史書に現れ、堅昆(けんこん)、契骨(けいこつ)、黠戛斯(かつかつし)、吉児吉思(キルギス)の名で伝えられている。彼らは元来、イラン系種族であったらしいが、7、8世紀(唐代)ごろにはトルコ化していた。突厥(とっけつ)碑文にはqyrqyz(キルギズ)と記される。狩猟、漁労、農業、牧畜に従事したほか、冶金(やきん)、金属加工にも長じていた。キルギスは匈奴(きょうど)、突厥、ウイグルなどの遊牧国家に圧迫されたが、独立を保ち、唐朝と通交した。840年ごろ、キルギスの君主はウイグル帝国を攻撃し、その王朝を倒し、ウイグル人の南西への移動を決定づけた。13世紀の初め、キルギス部族の君長はチンギス・ハンに服属し(1218)、モンゴル帝国のなかで部族社会を保持し、農耕、毛皮生産、金属加工を生業とした。モンゴル帝国の崩壊した14世紀以降はオイラート人の支配を受け、しだいに天山西部地域とフェルガナ渓谷に移住したとみられ、オイラート人や西方のカザフ遊牧民の圧迫を受け、ブルート(布魯特)とよばれた。17、18世紀以降はジュンガル人、清(しん)朝、帝政ロシアの間接支配下に置かれた。キルギスの叙事詩『マナス』には、彼らの移動説話も含まれている。ソ連が成立すると、その支配下のキルギス人はキルギス社会主義共和国(現キルギス共和国)の主要人口となって、近代化の道をたどっている。中国の新疆(しんきょう)地方にもキルギス人が住む。

[佐口 透]

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改訂新版 世界大百科事典 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス
Kyrgyz

基本情報
正式名称=キルギス共和国Kyrgyz Respublikasy/Kyrgyz Republic 
面積=19万9951km2 
人口(2010)=519万人 
首都=ビシケクBishke(旧称フルンゼ)(日本との時差=-4時間) 
主要言語=キルギス語,ロシア語(ともに公用語) 
通貨=ソムSom

中央アジア東部の共和国で,独立国家共同体(CIS)構成国の一つ。1993年5月の憲法改正で国名正称はキルギス共和国とされたが,キルギスタンと通称される。旧ソ連邦の構成国であったキルギス・ソビエト社会主義共和国が1991年独立し,改称したもの。この地域はキルギジアとも呼ばれ,その東部は中国の新疆ウイグル自治区と国境を接する。

国土の3分の2以上は,天山山脈パミール高原の3000m以上の高地からなる。森林は国土のわずか3%にすぎず,残りは砂漠とステップの植物,あるいは高山・亜高山植物がわずかに生育する地域である。夏は乾燥し暖かく,冬は谷や山麓では比較的雨量もあり気温も高い。人口はチュー,タラス,イシク・クル,フェルガナの谷と低地に集中し,その民族別の構成(1989)は,キルギス人52.4%,ロシア人21.5%,ウズベク人12.9%,ウクライナ人2.5%などであり,中央アジア5ヵ国のなかではカザフスタンに次いで中心民族の比率が低い。

キルギスタンがロシアの一部となったのは19世紀の50~70年代のことである(それ以前の歴史は〈キルギス族〉〈中央アジア〉の項を参照)。すなわち,1863年にはキルギス人の大部分が住む北キルギスタンが,76年ホーカンド・ハーン国が廃された後まもなく南キルギスタンがロシアに含まれることになった。帝政ロシアは91年に遊牧地の国家的所有を宣言し,その最良の部分をロシア人移住民に分配した。第1次世界大戦下の1916年7月,原住諸民族を戦時後方作業へ徴集する勅令を契機として発生した中央アジア大反乱は,キルギスタンの多くの地区を巻き込んだ。

 17年の二月革命後はキジル・キアなどいくつかの都市に労働者と兵士のソビエトが形成された。10月の段階では,北部ではチュー盆地の灌漑作業に従事する労働者が集中していたピシペク(現,ビシケク)が,南部ではキジル・キア,スリュクタ,コク・ヤンガクといった炭鉱地帯が革命的高揚の中心となった。スリュクタでは11月11日(新暦24日),キジル・キアでは11月末にソビエト政権が成立。さらに12月タラス盆地,18年1月オシ郡,2月ピシペク郡,4月ナリン,5~6月プルジェワリスク郡と続き,18年半ばには全土がソビエト政権の支配するところとなり,5月に成立したトルキスタン自治共和国の一部となった。

 ソビエト政権は,移住民富農の土地の貧農への分配,炭鉱国有化,国民経済会議の創設などを行ったが,他方バイ(地主)やイスラムの指導者は18年春から夏に南部でバスマチ運動と呼ばれる農民の反ソビエト運動を組織し,破壊活動を行った。しかし,20年11月ナリンの大暴動のころを最後にバスマチ運動もほぼ鎮圧される。21-22年には反植民地主義的土地・水利改革が遂行され,約6000人の無土地・小土地農民が21万7000haの土地を受け取った。バスマチ運動が続いていた南部では27-28年,バイをなくすための土地・水利改革が激しい闘争を伴いつつ遂行され,そのなかで多妻制・カリム(婚約金)廃止など婦人の地位の向上を目ざす諸施策,遊牧民定住化などが実行に移された。これらの政策は30年代前半の農業の集団化期に引き継がれるが,遊牧民定住化は家畜の大量処分を引き起こし,28-34年に牛は41%に,ヤギ・羊は22.7%に減少した。工業化も開始され,28-40年に140の工業企業が操業を始め,40年の工業総生産は,13年の9.9倍となった。金属加工,石油,非鉄金属,製糖,食肉缶詰など新しい部門も生まれ,工業・農業国に変わった。キルギス人の工場労働者も養成され,39年にはキルギスタンの全労働者の17.9%に達した。

 キルギスタンは,1924年の中央アジアにおける民族的境界画定によってロシア共和国のカラ・キルギス自治州となったが,25年キルギス自治州と改称した。そして26年2月には自治共和国になり,36年12月にはさらに共和国に昇格し,ソ連邦構成共和国となった。30年代後半には大粛清の嵐がキルギスタンをも襲い,第一書記アンモソフM.Ammosov,第二書記ベロツキーM.Belotskiiをはじめ多くの党員が犠牲となった。

第2次大戦中,キルギスタンはタングステン,水銀,アンチモンの供給で軍事産業の一翼を担い,またソ連邦西部から多くの企業が疎開した。戦後は本格的な工業化が行われ,工作機械,農業機械,電気器具などの機械製作工業のほか,綿花精製,織物などの軽工業,食品工業も発展した。電力は豊富な水力資源を利用した水力発電が4分の1を占め,アラメディン,ウチクルガン,トクトグルなどの発電所が著名である。40年の発電量は5000万kWhにすぎなかったが,89年には151億kWhへと飛躍的に増大した。

 農業生産も発展しているが,その特徴は播種面積のうち,多年生牧草とサイロ用トウモロコシからなる飼料作物の比率が大きいことで,畜産の比重の高さを示している。その他穀物,綿花,ビート,タバコなどの工業作物,ジャガイモ,野菜などが重要である。1991年の生産量は穀物137万4000t(1913年43万6000t),綿花6万2000t(同上2万8000t)などで,野菜,ブドウなどの生産の増大もめざましい。畜産では1991年に牛が119万頭,ヤギ・羊952万5000頭,豚35万8000頭である。

 革命前,識字率は1~2%で,キルギス人は自分の文字さえもっていなかったが,現在はロシア文字を基礎とした文字を使用している(1926年まではアラビア文字,1940年まではラテン文字を使用)。そして旧ソ連の他の共和国と同じく10年制の普通中等義務教育への移行が終わった。ビシケクの国立大学をはじめ,10余の高等教育機関があり,その学生数は5万8000,中等専門学校48,学生数4万2700である(1991)。1913年にはわずか15人であった医者は,91年には1万6400人,住民1万人当り36.8人,ベッド数は同じく122床となった。

モスクワにおける1991年の8月クーデタ事件直後の8月31日にキルギス共和国最高会議が独立宣言を採択した。アカエフ大統領はクーデタ事件の際は,ただちに反対の意思表示を行った。93年5月新憲法が採択された。人口や経済規模が小さく,ソ連解体による分業体制崩壊のため,国民経済は破局的打撃を受けた。93年通貨単位ソムSomを導入し,94年4月カザフスタン,ウズベキスタンと関税の相互撤廃など共通経済圏創出に関する条約に調印,7月には中央アジア協力開発銀行設立に合意するなど,隣国との経済協力を強めている。94年10月にはまたCIS加盟12ヵ国首脳会議が政府間経済委員会を設置し,EU型の経済統合を進める方針が決められた。日本も市場経済化のモデルとして援助や借款を供与している。
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百科事典マイペディア 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス

◎正式名称−キルギス共和国Kyrgyz Respublikasy/Kyrgyz Republic。◎面積−19万9945km2。◎人口−578万人(2014)。◎首都−ビシュケクBishkek(90万人,2014)。◎住民−キルギス人64.9%,ウズベク人13.8%,ロシア人12.5%など。◎宗教−イスラム(スンナ派)70%,ロシア正教6%。◎言語−キルギス語,ロシア語(ともに公用語)。◎通貨−ソムSom。◎元首−大統領,アタムバエフAtambaev(1956年生れ,2011年12月就任,任期5年)。◎首相−テミル・サリエフTemir Sariyev(1963年生れ,2015年5月就任)。◎憲法−2007年10月の国民投票で承認。◎国会−一院制(定員120,任期5年)。最近の選挙は2010年10月。◎GDP−44億ドル(2008)。◎1人当りGNP−490ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−28%(1997)。◎平均寿命−男63.9歳,女71.4歳(2007)。◎乳児死亡率−33‰(2010)。◎識字率−99.2%(2009)。    *    *中央アジア北東部の共和国。1993年キルギス共和国を正称としたが,広くキルギスタンと呼ばれる。国土の大部分は天山山脈に属する山地で,標高4000〜5000mの山脈が連なり,東部,中国との国境には7000mを越える高峰がある。住民の60%がキルギス人で,ロシア人16%,ウズベク人14%(1996)など。中央アジアではカザフスタンに次いで共和国の中心民族の比率が低い。牛,豚,羊,ヤギの牧畜がおもに行われ,小麦,綿花,タバコの産もある。地下資源は豊富で,水銀,アンチモンの産は屈指。石炭,石油もあり,各種工業も興っている。 青銅器時代の遺跡があり,8世紀突厥(とっくつ)のビルゲ・ハガンに征服された。13世紀モンゴル,17−18世紀ジュンガル,19世紀ホーカンド・ハーン国に支配され,19世紀後半ロシアに服した。ロシアは遊牧地を国有地とし,ロシア人移民に分配した。ロシア革命後1918年からトルキスタン自治共和国の一部であったが,1924年の民族的境界画定により,ロシア共和国の一部としてカラ・キルギス自治州となる。翌年キルギス自治州と改称,1926年自治共和国,1936年ソ連邦の構成共和国となった。1990年主権宣言を採択し,1991年8月ソ連からの独立を宣言した。中央アジアの政治指導者の中で最も民主的と目されるアカエフが1990年大統領に就任,1996年憲法改正により大統領権限を強化。旧ソ連の中でも特に工業化が遅れており,しかも工業労働者の7割以上がほぼスラブ系の住民という状況にある。2001年に経済や外交などの地域協力組織である上海協力機構に加盟。2005年2月,3月の議会選挙の結果に不満をもつ野党勢力の反政府運動が首都ビシュケクを中心に起こり,4月アカエフ政権は崩壊した。同年7月の大統領選でバキエフが当選,2007年10月には,2006年11月採択の新憲法とその一部改正についての是非を問う国民投票を実施し,賛成多数で承認された。しかし,不正投票が公然と行われたとする批判が根強く,また親族を重要ポストにつけたバキエフ政権に対する国民の反発が強く,2010年4月,政権による野党社会民主党幹部の拘束に抗議する反大統領デモが広がって,政府軍がデモ隊に発砲,武力衝突となった。野党勢力は,国家治安局,国営テレビ局などを占拠,バキエフ大統領は首都から逃亡した。元外相代行で〈統合国民運動〉のローザ・オトゥンバエヴァが,自らを代表とする暫定政府の樹立を宣言した。2011年10月大統領選挙でアタムバエフが当選した。→キルギス語
→関連項目ウズベキスタン中央アジアトルキスタン

キルギス[人]【キルギス】

中央アジア,キルギス共和国とその周辺に住むトルコ系のキルギス語を話す人びと。クルグズとも。従来は遊牧が生業で,多くはスンナ派イスラム教徒。人口約250万人。中国では堅昆,結骨,黠戛斯などと記す。匈奴(きょうど),突厥(とっくつ),ウイグルなどに,次いでモンゴルに支配され,南西に移動し,フェルガナ渓谷に定住した。
→関連項目キルギス語新疆ウイグル自治区トルコ系諸族

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス
Kyrgyz

正式名称 キルギス共和国 Kyrgyz Respublikasy。
面積 19万9945km2
人口 676万9000(2021推計)。
首都 ビシケク

中央アジア北東部の国。北はカザフスタン,東と南東は中国,南はタジキスタン,西はウズベキスタンと国境を接する。国土の大半がテンシャン (天山) 山脈に属する山国で,東端部の中国との国境にはポベーダ峰 (7439m) ,ハンテングリ山 (6995m) などの高峰がそびえる。ナルイン川の河谷をはじめとする深い河谷が発達し,イスイククリ湖など湖も多い。気候は地形による影響が大きく,北と西に面した斜面は比較的湿潤であるが,全体に乾燥していて,北部山麓は砂漠,半砂漠地帯に属し,山地ではステップ,森林,高山草地へと変化する。チュルク語系諸族キルギス人の国で,住民の半分以上がキルギス人で,スンニー派イスラム教徒が多い。次いでロシア人,ウズベク人が多く居住する。公用語はキルギス語とロシア語。キルギス人は紀元前よりエニセイ川上流域に居住していたが,13世紀テンシャン山脈西部に移動したと考えられる。 19世紀後半ロシアの支配下に入り,1924年カラキルギス自治州成立。 1926年キルギス自治共和国,1936年キルギス=ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦構成共和国となった。 1991年キルギスタン共和国として独立。独立国家共同体 CISに加盟。首都名をフルンゼからビシケクに改称した。 1992年3月国際連合加盟。 1993年新憲法を採択し,国名をキルギス共和国に改称。キルギス人は長い間遊牧生活を続けてきたが,現在は定住し,住民の半数以上が農村に居住する。その多くは牧羊に従事するが,ビシケク周辺,ナルイン川沿岸,イスイククリ湖沿岸の平地では灌漑農業が行なわれ,ワタ,コムギ,テンサイ,タバコ,果樹などが栽培される。石炭,石油,水銀,タングステン,亜鉛などの地下資源に恵まれ,これらの採取業も発展している。工業部門では機械 (農業,電気) ,繊維 (絹,綿,縫製) ,食品などの工業が主要なものである。また水力資源にも恵まれ,その開発が進んでいる。山国であるため鉄道交通は未発達で,ハイウェーと航空路が主要交通路である。

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知恵蔵 「キルギス」の解説

キルギス

2001年の米同時多発テロ後、キルギスは米軍をマナス基地に受け入れたが、バランスをとるために、02年には中国との共同軍事演習を行ったり、カント空軍基地にロシア軍を受け入れたりして、中国とロシアとの関係にも気配りしている。ただ、05年7月のアスタナ(カザフスタンの首都)における上海協力機構首脳会議では、中国やロシアの主導で米軍基地を中央アジアから撤退させる方向が打ち出され、キルギスも追随したが、米軍の駐留により多額の資金援助を受けていたキルギスは、明確な反米姿勢は打ち出していない。05年3月の政変(チューリップ革命)によって成立したバキエフ政権は、グルジアやウクライナのような親欧米政権ではなく、ロシア、中国、米国とのバランス政策をとっている。

(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2007年)

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旺文社世界史事典 三訂版 「キルギス」の解説

キルギス
Kirghiz

古くからエニセイ川上流にいた遊牧民族
民族的には,アーリア系その他の種族がトルコ族に同化されたものと考えられる。中国では結骨・黠戛斯などと記され,匈奴・突厥・ウイグル・モンゴルなどの支配を受けてきた。彼らは狩猟・牧畜・漁労・農耕などを営み,優秀な鉄製器具を使った。いわゆるエニセイ碑文には突厥系の文字が記されている。19世紀以降ロシアの支配下にはいり,1924年ソ連に編入された。1936年にはソ連を構成する共和国となり,91年独立。1992年には国連,93年には独立国家共同体(CIS)に加盟した。首都ビシケク。

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世界大百科事典(旧版)内のキルギスの言及

【キルギスタン】より

…正式名称=キルギス共和国Kyrgyz Respublikasy∥Kyrgyz Republic面積=19万8500km2人口(1996)=451万2000人首都=ビシケクBishkek(旧称フルンゼ)(日本との時差=-4時間)主要言語=キルギス語,ロシア語(ともに公用語)通貨=ソムSom中央アジア東部の共和国で,独立国家共同体(CIS)構成国の一つ。1993年5月の憲法改正で国名正称はキルギス共和国とされたが,キルギスタンと通称される。…

※「キルギス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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