改訂新版 世界大百科事典 「突厥碑文」の意味・わかりやすい解説
突厥碑文 (とっくつひぶん)
Tū jué bēi wén
突厥時代(552-744)に建てられた大小の石碑。このうち,オルホン川の旧流域ホショ・ツァイダムから発見されたキョル・テギン碑文は732年に,その近辺で発見されたビルゲ・ハガン碑文は735年にそれぞれ建置された。トラ川上流のバイン・ツォクトで発見されたトニユクク碑文は前2者よりさらに早い時代のものと推定されている。キョル・テギンはビルゲ・ハガンの弟であり,トニユククは彼らの重臣であった。いずれも紀功碑である。ほかにオンギン川の支流で発見されたオンギン碑文,イヘ・フシュトゥのキュリ・チョルKüli Čor碑文があるが,建置年代は不明である。碑文にはキョル・テギン碑文やビルゲ・ハガン碑文のように漢文も記されているものもあるが,他はいずれも突厥文字と呼ばれる文字を用いて古代トルコ語(突厥語)のみで刻まれている。
一方,突厥時代の碑文の中には草書体ソグド文字で刻まれたブグト碑文と呼ばれるソグド語碑文がある。この碑文は突厥文字碑文に先がけて6世紀後半に建置されたと推定されている。このことから突厥帝国の公用語が初期の時代はソグド語であったという説もある。突厥文字で刻まれた碑文はほかにも,ウイグル帝国時代のものや,エニセイ川上流で発見された小さな碑文群があるが,これらをも突厥碑文ということがある。エニセイ川の碑文は一般にはエニセイ碑文と呼ばれ,先のビルゲ・ハガン碑文などに与えられたオルホン碑文という別名と区別される。しかしエニセイ碑文の碑面の作成年代に関しては,これをオルホン碑文より古いとする説と新しいとする説の2通りがある。
執筆者:庄垣内 正弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報