改訂新版 世界大百科事典 「カルプツォ」の意味・わかりやすい解説
カルプツォ
Benedict Carpzov
生没年:1595-1666
ドイツ普通法学の確立期(〈パンデクテンの現代的慣用〉)を代表する法律家。ザクセンの有力な法律家・神学者家系の出。1619年ウィッテンベルク大学で学位を取得,翌年からほぼ生涯を通じてライプチヒ審判人裁判所の構成員をつとめ,これと並んでライプチヒ大学教授(1645-53)となり,他の種々の要職にもついた。カルプツォの学問的業績はすべて自国の法実務の経験を基礎としている点に特徴がある。代表作《ザクセン新帝国刑事訴訟実務》(1635)では,借物のイタリア法学を乗り越え,カロリーナ刑事法典下のドイツ現行の刑事法を集約して叙述し,18世紀中葉すぎまでドイツ刑事司法を支配した。私法の領域でも,それまで支配的なイタリア法学説に縛られることなく,ドイツ慣習法とローマ法との結合を試みた。また当時の福音主義教会法を,カノン法を手本としながら体系的に詳述したことでも知られる。啓蒙主義時代になってから,カルプツォはその神政主義的刑事司法観(神学的な贖罪思想)を批判され,また,とくに魔女狩りに関連して彼が残酷かつ迷信的偏狭の人であったとする根拠のない伝説もつくり出された。カルプツォのせいで,2万もの死刑判決が下されたというのは事実無根である。
執筆者:佐々木 有司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報