改訂新版 世界大百科事典 「パンデクテン」の意味・わかりやすい解説
パンデクテン
Pandekten
〈ローマ法大全〉の主要部分である〈学説彙纂Digesta〉(ギリシア語流の表現では〈会典Pandectae〉となる)を指すドイツ語。近世以降,パンデクテンを基礎として発展した現代の法という意味で,〈パンデクテン法Pandektenrecht〉の語が用いられた。
パンデクテンの現代的慣用
ドイツにおける〈ローマ法の継受〉が本格的に進行するのは15世紀中葉以降のことであるが,継受されたローマ法(中世イタリア法学によって学問的に加工された形でのローマ法大全)は普通法Gemeines Recht,すなわちドイツの全領域に共通の法として通用することになった。その後17世紀から18世紀にかけて,とくに私法の分野で〈パンデクテンの現代的慣用Usus modernus pandectarum〉を主要任務とするドイツ普通法学の展開をみた。その特徴は,固有のドイツ法を十分に考慮しながら,当時の生活現実にローマ法を適応・同化させようとする点にあった(ここではパンデクテンの語は継受されたローマ法全体に対する呼名として用いられている)。非ローマ的・ドイツ的な法制度が普通法学に組み込まれる一方,ローマ的諸制度についても個々の法源テキストからの解放,原理的・体系的な取扱いが行われた。コンリング,そしてカルプツォ,シュトリュークSamuel Stryk(1640-1710),ハイネクツィウスJohann Gottlieb Heineccius(1681-1741)らが〈現代的慣用〉の代表的担い手である。
パンデクテン法学
18世紀末以降,ドイツにおいても私的自治の領域としての市民社会が成立することになる。自然法論による法概念の形成および体系化の作業のあと,この私的自治の法としての私法の体系を完成したのは,サビニーの歴史法学に発するパンデクテン法学である。サビニーは歴史主義的主張によって歴史法学を基礎づけると同時に,ローマ法を手がかりとする体系の構築(立法においては学説による)をもって実定法的秩序の変革を目ざした。19世紀中葉になると,歴史主義にかえて制定法至上主義が台頭し,継受されたローマ法はドイツ人にとっての制定法とみなされ,個々のローマ法源への依存度が増大した。こうして歴史法学はパンデクテン法学へと発展し,いっさいの法命題を法規(ローマ法源)から演繹するための法律構成juristische Konstruktionの技術を高度に発達させた(このため概念法学と評されることにもなった)。パンデクテン法学の代表者は,ファンゲロウKarl Adolf von Vangerow(1808-70),デルンブルクHeinrich Dernburg(1829-1907)らであるが,とくに重要なのはウィントシャイトである。その《パンデクテン法教科書》3巻(1862-70)は当時の法学と法実務にとって標準的な意義を獲得し,ドイツ民法典の起草にも強い影響を与えた(同法典は全体としてパンデクテン法学の所産とみられる)。
パンデクテン式
民法典の編別構成の一つで,インスティトゥティオーネン式(ローマ式)と対置され,ドイツ式ともいう。総則,物権,債権,親族,相続の5編からなり,1863年ザクセン民法典が初めて採用した。ドイツ民法典は第2編債権,第3編物権の順序としたが,日本の民法典はザクセン民法典にならっている。
執筆者:佐々木 有司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報