ガウリー陰謀事件(読み)ガウリーいんぼうじけん(その他表記)Gowrie Conspiracy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガウリー陰謀事件」の意味・わかりやすい解説

ガウリー陰謀事件
ガウリーいんぼうじけん
Gowrie Conspiracy

1600年スコットランドで起ったとされる国王誘拐未遂事件。同年8月5日,国王ジェームズ6世 (のちのイングランド王ジェームズ1世 ) は,狩猟中に廷臣 A.ルースベン (初代ガウリー〈伯〉の3男) に誘われて,その兄の3代ガウリー伯ジョン・ルースベンのパース近郊の館に捕われたが,急を聞いて駆けつけた護衛兵がルースベン兄弟を斬り,王は事なきを得たというもの。この事件は王みずから公表したもので,しかも彼はルースベン家に多額の負債を負っていたことから,王が捏造したか仕組んだ事件と疑われている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む