ルナン(読み)るなん(英語表記)Joseph Ernest Renan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルナン」の意味・わかりやすい解説

ルナン
るなん
Joseph Ernest Renan
(1823―1892)

フランスの思想家、宗教史家、文献学者。2月28日、ブルターニュ地方のトレギエに生まれる。聖職を志しサン・シュルピス神学校に進んだが、ヘーゲルヘルダーらのドイツ哲学の影響を受け、セム語文献学と聖書原典の研究に熱中するうちに、教会の伝統的聖書解釈に疑惑を抱くようになり、聖職を捨てて学問の道を選ぶ。のちの実証主義の代表的科学者ベルトロと友誼(ゆうぎ)を結び、科学の方法と可能性を信頼するに至り、1849年『科学の未来』(刊行は1890年)を書く。さらにキリスト教の起源の研究を企て、キリスト教を、ユダヤ的環境の産物、キリスト教発生以前の社会、感情、思想、信仰の産物として説明することを目ざし、代表作『キリスト教起源史』(1863~1881)を完成する。その第1巻が『イエス伝』で、キリストの神性を認めず、人間イエスの生涯の実証的な研究を標榜(ひょうぼう)した。他の主要著作に『イスラエル民族史』(1887~1893)がある。プロイセンフランス戦争とパリ・コミューンを契機に、民主主義への不信から知的エリートによる社会支配を構想するに及ぶが、そうした保守化の傾向を代表する著作が『哲学的対話と断片』(1876)。テーヌと並んで実証主義の思想家として19世紀後半の思想・文学界に多大な影響を及ぼした。1892年10月2日没。

[横張 誠 2015年6月17日]

『津田穣訳『イエス伝』(岩波文庫)』


ル・ナン(兄弟)
るなん

アントアーヌAntoine Le Nain(1588ころ―1648)、ルイLouis Le Nain(1593ころ―1648)、マチューMathieu(1607―77) フランスの画家の三兄弟。フランス北東部のランで役人の息子として生まれ、3人とも1620年代末には、パリで活躍を始める。今日ではとりわけ農民を描いた風俗画で知られるが、ほとんどパリに住んでいたと考えられ、当時はむしろ宗教画、肖像画の画家として地位を築き、48年の王立アカデミー設立時には、3人ともその会員になっている。しかし、その直後の5月末にアントアーヌとルイは続いて世を去る。マチューはその後も活躍を続け、「国王の画家」「サン・ミッシェルの騎士」などの称号を得ている。

 ル・ナン兄弟の作品それぞれを3人のだれが描いたかについては、まだ不明な点が多い。『家族の肖像』(1647、ルーブル美術館)などの比較的小ぶりな作品群は、明るい色とゆったりした人物配置に特色があり、普通アントアーヌ作とされる。またもっとも有名な『農民の夕食』(1645~48ころ、ルーブル)など農民の生活を題材とした作品群は、灰色、茶色など抑制した色調、古典的な緊密な構成を特色とし、ルイ作と想定されている。オランダのカラバッジョ派に影響されたと思われるリアルな描写と明暗のコントラストを特色とする『喫煙室』(1643、ルーブル)などの作品群はマチューにあてられる。

[宮崎克己]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルナン」の意味・わかりやすい解説

ルナン
Renan, Ernest

[生]1823.2.28. トレギエ
[没]1892.10.2. パリ
フランスの思想家,宗教学者。テーヌと並ぶ実証主義の思想家として大きな影響力をふるった。初め聖職を志したが,サン=シュルピス神学校在学中にヘーゲル,ヘルダーを読み,聖書原典の研究に向い,1845年聖職を断念した。 1848年の二月革命に動かされて書いた『科学の未来』L'Avenir de la science (1890刊) で,科学精神に基づいた実証主義の思想を確立。学位論文『アベロエスとアベロイスム』 Averroès et Averroïsme (1852) を著わし,1862年コレージュ・ド・フランスのセム語教授に迎えられたが,開講の辞でキリストを「比類なき人間」と呼んだために停職処分を受けた。生来の理想主義にもかかわらず超自然的なものを認めようとせず,歴史的な立場から大作『キリスト教起源史』 Histoire de l'origine du christianisme (7巻,1863~83) に取り組み,特にその第1巻『イエス伝』 Vie de Jésus (1863) は名高い。 1870年コレージュ・ド・フランス教授に復帰。『イスラエル民族史』 Histoire du peuple d'Israël (5巻,1887~93) のほか『青少年時代の思い出』 Souvenirs d'enfance et de jeunesse (1883) を残した。

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