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佐渡国 さどのくに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐渡国
さどのくに

今日の新潟県佐渡市北陸道の一国。下国。大佐渡,小佐渡に分かれるが,地質学的には二つの島であったのがのちに一島となったという。『日本書紀』には佐渡州,『古事記』には佐渡嶋とみえている。

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デジタル大辞泉の解説

さど‐の‐くに【佐渡国】

佐渡

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百科事典マイペディアの解説

佐渡国【さどのくに】

旧国名。佐州とも。現在の新潟県の佐渡島全域。記紀にみえる大八洲(おおやしま)の一つ。北陸道の一国で,743年―752年の間は越後(えちご)国に統合されたが,《延喜式》には中国,3郡。
→関連項目中部地方新潟[県]

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

さどのくに【佐渡国】

現在の新潟県佐渡島を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で北陸道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は中国(ちゅうこく)で、京からは遠国(おんごく)とされた。国府は現在の佐渡市竹田、国分寺は同市国分寺におかれていた。古くから遠流(おんる)の地として知られ、文覚(もんがく)順徳(じゅんとく)天皇日野資朝(すけとも)日蓮(にちれん)世阿弥(ぜあみ)らが流された。江戸時代は幕府直轄領。1603年(慶長(けいちょう)8)に、代官の大久保長安(ながやす)が金山を開発、以後遠国奉行がおかれ、奉行支配が幕末まで続いた。1868年(明治1)に佐渡県となり、翌年に越後(えちご)府に編入されたが、まもなく再置。1871年(明治4)に相川(あいかわ)県と改称、1876年(明治9)新潟県に編入された。◇佐州(さしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

さどのくに【佐渡国】

旧国名。佐州。現在の新潟県の一部,日本海中の佐渡島
【古代】
 北陸道に属する下国(《延喜式》)。国生み神話に〈佐度洲(島)〉とある。大化改新(645)後に佐渡国となり,721年(養老5)雑太(さわた)郡より賀茂,羽茂(うも)両郡を分離させて3郡となり,743年(天平15)越後国に合併し,752年(天平勝宝4)に再び分立した。国府,国分寺は雑太郡にあった(現在の真野町)。《和名抄》によると田は3960町4段で,羽茂郡に9郷,雑太郡に8郷,賀茂郡に6郷があった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐渡国
さどのくに

現在の新潟県佐渡島の旧国名。北陸道に属する。佐渡は記紀のころより大八州(おおやしま)の一つに数えられているから、かなり古い時期に大和(やまと)朝廷の支配に属したと思われる。721年(養老5)佐渡は雑太(さわた)1郡から雑太・加茂(かも)・羽茂(はもち)の3郡に分けられた。いま真野(まの)に雑太城跡が、また、両津に加茂歌代(うたしろ)が、そして羽茂に羽茂本郷の地名が残る。それぞれ各郡家の置かれた所であろう。その後743年(天平15)佐渡を越後(えちご)にあわせたが、752年(天平勝宝4)にはまた旧に復した。759年(天平宝字3)初めて生江臣智麻呂(いくえのおみともまろ)が佐渡国司に任命され(新旧の国府跡が真野にある)、764年には佐渡国分寺(真野の国分寺)が建立をみた。そのころ佐渡の国津は松ヶ崎(畑野の松ヶ崎)とされ、駅路は三川(みかわ)駅(赤泊(あかどまり)の三川地方)を経て雑太駅(真野の雑太地方)に達した。中世に至り、承久(じょうきゅう)の乱(1221)で佐渡は北条得宗(とくそう)領となり、地頭職(じとうしき)を得た本間(ほんま)、土屋(つちや)、藍原(あいはら)、渋谷(しぶや)氏などが関東から入部し、各郷の地頭職をもって勢力を振るったが、とりわけ本間氏は有力で、半国殿(はんごくどの)とよばれた。また、佐渡は古代から流罪地として世に聞こえていたが、とくに中世には順徳(じゅんとく)上皇、日蓮上人(にちれんしょうにん)、京極為兼(きょうごくためかね)、観世元清(かんぜもときよ)(世阿弥(ぜあみ))など著名な人々がこの国に流された。
 やがて1589年(天正17)上杉景勝(かげかつ)は佐渡を攻め、その結果佐渡は上杉氏の領国となった。しかし1598年(慶長3)豊臣(とよとみ)秀吉によって景勝は会津に移封され、1600年(慶長5)からは徳川家康の領地となり、江戸幕府直轄地となった。全島が佐渡金銀山のお囲い村とされたのである。佐渡で最初の検地は1600年上杉氏の代官河村彦左衛門によって実施された。この検地は指出(さしだし)形式をとり、実測検地は1693年(元禄6)初めて実施された。屋敷検地は1617年(元和3)と比較的早く実施された。元禄(げんろく)検地によって、慶長(けいちょう)(1596~1615)のころ分米(ぶんまい)2万1000石ほどであった佐渡は、新検では石高(こくだか)13万石余、年貢高3万石余の国とされた。
 江戸時代、佐渡には遠国奉行(おんごくぶぎょう)が置かれた。1600年の田中清六、03年の大久保長安(ながやす)はまだ代官とよばれたが、18年からは鎮目(しずめ)市左衛門、竹村九郎右衛門の2人の奉行が佐渡を支配した。江戸時代の佐渡は鉱山があったため物資の他国出しが禁ぜられるなど経済発展が遅れたが、18世紀のなかば宝暦(ほうれき)期(1751~64)から物資の他国出しが許されると、大坂への干烏賊(ほしいか)移出、江差(えさし)・松前への藁(わら)細工・竹細工・みそ・酒の移出が行われるようになった。
 維新の際には、広間役中山修輔(しゅうすけ)の力によって兵火にみまわれずに明治を迎えた。1870年(明治3)までの佐渡県、74年からの相川県の時代を経て76年新潟県に合併された。[田中圭一]
『田中葵園編『佐渡志』全15巻(1782成、1889刊/野島出版越佐叢書4)』

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