ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガスタイン協定」の意味・わかりやすい解説
ガスタイン協定
ガスタインきょうてい
Convention of Gastein
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…戦争は10月のウィーン講和条約で終わり,デンマークは両公国をプロイセンとオーストリアに割譲した。以後両公国はプロイセン,オーストリア両国の共同管理下に置かれ,なお65年8月のガスタイン協定で,シュレスウィヒはプロイセンの,ホルシュタインはオーストリアの行政下に入れられたが,この状態は1年と続かず,66年の普墺戦争の結果両公国ともにプロイセンに併合されて,その地方州シュレスウィヒ・ホルシュタインとなった。スリースウィー問題
[民族問題]
プロイセン領となったシュレスウィヒ・ホルシュタインにおいては,今度はシュレスウィヒに多く居住するデンマーク人がドイツ内の少数民族として抵抗を強めた。…
※「ガスタイン協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...