ブース(英語表記)Charles Booth

デジタル大辞泉 「ブース」の意味・読み・例文・類語

ブース(booth)

間仕切りをした場所や小室。仕切り席。「投票所ブース」「実演販売ブース
仮小屋。仮設売店。また、有料道路の料金徴収所など。

ブース(William Booth)

[1829~1912]英国の宗教家救世軍創始者ロンドン東部のスラム街に伝道し、貧民の救済と更生に尽くした。1907年(明治40)来日。著「最暗黒の英国及其救済策」。

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精選版 日本国語大辞典 「ブース」の意味・読み・例文・類語

ブース

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] booth )
  2. 間仕切りした小さな空間。投票所の記入台、LL教室の個人用区画など。〔マイクのたわごと(1955)〕
  3. 仮小屋。仮設の売店や高速有料道路の料金徴収所など。
    1. [初出の実例]「巡査が一人、剣の鞘を握っていくらか昂奮しながら、ブースの前の人込みをかきわけてゐた」(出典:血(1927)〈岡田三郎〉)

ブース

  1. ( William Booth ウィリアム━ ) イギリスの宗教家。一八六五年に東ロンドン伝道会を創設、のちの救世軍の発端をつくった。著「最暗黒の英国とその出路」。(一八二九‐一九一二

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改訂新版 世界大百科事典 「ブース」の意味・わかりやすい解説

ブース
Charles Booth
生没年:1840-1916

イギリスの社会調査家。リバプール出身で,ブース船舶会社重役,王立統計学会会長(1892-94)を務めた。1886年から,ロンドン市内イーストエンド地区で,貧困問題という観点から市民の生活状態の社会調査を実施し,1891-1903年の間に《ロンドン市民の生活と労働》(17巻)と題する膨大な調査報告を出版した。これは後の実証的社会科学研究における社会階層分析手法として大きな影響を与えた。彼の社会調査は,第1に特定の社会問題を明確に定義づけることによって,客観的な数字におきかえることを可能にし,その結果19世紀末のロンドン市民の30.7%の貧困層を検出した。第2は,単に問題の所在を示すのではなく,その因果関係を明らかにすることで,貧困の原因の32.8%が老齢,26.7%が疾病であったことを証明した。第3は,社会調査によって実証された問題解決のための実践活動である。彼は後に救貧法改正,老齢無拠出年金法の制定のため大きな役割を果たしている。ブースによって社会科学の実証方法として確立した社会調査は,後にB.ラウントリーらの貧困調査を生み,イギリスの福祉国家としての出発点となった。
執筆者:


ブース
Joseph Booth
生没年:1851-1932

オーストラリア人宣教師で,晩年南部アフリカで活躍した平和主義者。1889年イギリスはニヤサランド(現,マラウィ)を保護領としたが,その直後の92年単身ニヤサランドに赴いてバプティスト教会の伝道本部を設立し,〈アフリカ人のためのアフリカ〉の旗印の下にシーレ地方を中心に布教活動を行った。その際チレンブエ(のちのチレンブエの反乱の指導者)をキリスト教に帰依させ,彼を連れてアメリカに渡ったことはよく知られている。アメリカで白人キリスト再臨派教会やものみの塔運動に近づいたブースは,その後白人による指導を拒否したチレンブエとたもとを分かち,一足先に南部アフリカに戻って布教を再開した。その活動はしばしばイギリス植民地当局との政治的衝突を引き起こし,1915年のチレンブエの反乱の際には共謀者の嫌疑を受けて追放され,貧窮の中でイギリスに逃れた。生涯のうち宗派を幾度か変えているが,アフリカ人の権利擁護者の立場は終始崩さなかった。
執筆者:


ブース
Edwin Thomas Booth
生没年:1833-93

アメリカの俳優。イギリス出身で1821年アメリカに移住した著名な俳優を父とし,少年時代から父の一座で活躍した。悲劇を得意とし,ハムレット,ロミオ,オセローなどシェークスピア劇の役で知られた。イギリスに渡って当時の代表的名優ヘンリー・アービングと共演し,ヨーロッパで名声を得た最初のアメリカ人俳優といわれる。1869年にみずからの名をつけた〈ブース劇場〉をニューヨークに開き,詩劇の本拠とすべく運営に当たったが,この試みは経済的には失敗した。彼の兄や弟も俳優で,弟ジョン・ウィルクス・ブースJohn Wilkes Boothは,1865年に観劇中のリンカン大統領を暗殺した人物として記憶されている。
執筆者:


ブース
William Booth
生没年:1829-1912

救世軍の創立者,初代大将。イギリスのノッティンガムに生まれ,もとはメソディスト派の伝道者であったが,やがて独立してロンドンの貧民地区の伝道を始めた。組織的な社会救済と貧民伝道のために1878年救世軍を創立,軍旗・制服・階級名など軍隊的な規律を採用し,社会の底辺層の救済活動を行った。救世軍はアメリカや日本にも設立され,ブースも1907年に来日し,明治天皇をはじめ朝野の歓迎を受けた。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブース」の意味・わかりやすい解説

ブース(Charles Booth)
ぶーす
Charles Booth
(1840―1916)

イギリスの実業家、社会問題研究家、統計学者。都市社会学の先駆的研究者。リバプールに生まれる。実業家としては、いくつかの工場をおこすが、主として海運業界で活躍。社会問題と社会改良に強い関心を示し、協力者を得てロンドンの民衆の生活実態と生活様式を調査し、生活水準により8階級を区分、色彩を用いてロンドンの地域性を示す地図を作成した。ブースの調査研究の方法や成果は後のアメリカにおける都市研究の先駆をなすもので、パークによっても高く評価された。1908年に成立した養老年金条例にはブースの提言も生かされている。著書には『民衆の生活と労働』全2巻(1889~1891)などがあるが、調査研究の集大成である、貧困、産業、宗教の諸影響という三つのシリーズと結論からなる全17巻の大著『ロンドンにおける民衆の生活と労働』(1902~1903)が名高い。

[山岸 健]


ブース(William Booth)
ぶーす
William Booth
(1829―1912)

救世軍の創始者。イギリスのノッティンガムに生まれる。13歳で父と死別、質屋で働き、15歳で回心を体験する。諸教派を遍歴したのち、1865年ロンドン東部のスラム街で貧民救済のための伝道を独力で開始した。野外集会、戸別訪問、聖書の販売、聖書講義、禁酒会、夜学、給食などの活動を精力的に展開し、その過程で軍隊風の制度・組織を採用して、1878年救世軍Salvation Armyを名のる。回心体験を重んじ、「救いと聖潔」を教理とし、これを「血と火」という標語にまとめた。礼典を無視したが、禁酒禁煙を含む厳しい生活規律を組織の規範とした。主著は『最暗黒の英国及其(その)救済策』(1890)で、真の救済は品性の改造と境遇の改善との二面よりなると主張した。1907年(明治40)には来日して朝野の歓迎を受けた。

[川又志朗 2018年1月19日]


ブース(一家)
ぶーす
Booth

アメリカの俳優一家。父ジュニアス・ブルタスJunius Brutus(1796―1852)はロンドンの有望俳優であったが、1821年渡米し、以後各地を巡演、酒と狂気に翻弄(ほんろう)されつつも本格派悲劇役者として実力を示した。息子のうち3人が父の一座の俳優となったが、ジュニアス・ブルタス・ジュニアJunius Brutus Jr.(1821―1883)は、俳優よりも劇場マネージャーとして活躍。エドウィン・トマスEdwin Thomas(1833―1893)はアメリカが生んだ最高の悲劇役者とうたわれ、ハムレットをはじめシェークスピア劇に優れた才能を発揮、その名声はヨーロッパにまでとどろいた。しかし父と弟の狂気、2人の妻の死など私生活では恵まれなかった。ジョン・ウィルクスJohn Wilkes(1839―1865)は俳優としての才能を開花させることなく、兄の名声への嫉妬(しっと)からか、狂信的愛国心からか、1865年観劇中のリンカーン大統領を暗殺し歴史に名をとどめることになった。

[一ノ瀬和夫]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブース」の意味・わかりやすい解説

ブース
Booth, William

[生]1829.4.10. ノッティンガム
[没]1912.8.20. ロンドン
イギリスの救世軍創立者。建築業者であった父の倒産により質屋に勤め,そこで同胞の貧困と退廃とに接し,それに対する戦いの熱情を感じた。 1844年宗教的回心を体験し,メソジスト派として説教活動を始め,のちにメソジスト改革派に身を投じた。 61年には同教会から分離して,路傍伝道など独自の伝道活動を行なった。 65年ロンドンで成功した天幕伝道の経験により,教会外の大衆伝道の必要性を認め,78年救世軍を創立。当初は大衆からも迫害を受けたが,のちにはイギリス国教会とも交渉をもつほどに成長し,79年アメリカ,80年オーストラリアへも発展し,90年までにはヨーロッパ全土,インド,南アフリカ,南アメリカ,日本にも運動は広がった。主著『最暗黒の英国とその出路』 In Darkest England and the Way Out (1890) 。

ブース
Booth, John Wilkes

[生]1838.5.10. アメリカ,メリーランド,ベルエア
[没]1865.4.26. アメリカ,バージニア,ポートロイヤル付近
アメリカの俳優。 A.リンカーン大統領の暗殺者として有名。 19世紀アメリカで最も有名な俳優一族ブース家の一員。大統領に当選したリンカーンを憎み,南北戦争中は俳優業と南部連合の秘密情報員の役にあたった。 1864年秋までに連邦政府要人,特にリンカーンと国務長官 W.シオードの暗殺を計画して仲間を集め,65年4月 14日ワシントン D.C.のフォード劇場で観劇中のリンカーンを射殺した。 12日後バージニア州のたばこ小屋で死体となって発見されたが,自殺したか,射殺されたかはいまだに不明。また背後関係があったかどうかも確証はない。

ブース
Booth, Charles

[生]1840.3.30. リバプール
[没]1916.11.23. レスターシャー,ウィティク
イギリスの海運業経営者,統計学者,社会改良家。 1886年にロンドンの貧しい人たちの居住地を中心に貧困調査を行なって,貧困に関する科学的根拠を明らかにし,無拠出老齢年金の制度などを提案した。この調査は労働者の収入と支出との関係をとらえ,生活と雇用能力の標準に関する統計的方法と事例研究を組合せるなど,貧困調査や社会調査の先駆的研究とされている。主著『ロンドン市民の生活と労働』 Life and Labour of the People in London (17巻,1891~1903) 。

ブース
Booth, Edwin Thomas

[生]1833.11.13. メリーランド,ベルエア近郊
[没]1893.6.7. ニューヨーク
アメリカの俳優。 J.B.ブースの息子。シェークスピアその他の古典劇にすぐれた演技を見せた悲劇俳優。ニューヨーク,ロンドンやドイツの舞台に出演し,世界的名声をかちえた最初のアメリカ人俳優。当り役は,ハムレット,リチャード3世,ロミオなど。ロンドンで H.アービングと交互にオセロとイアーゴーを演じた『オセロ』の舞台 (1880~82) が有名。

ブース
Booth, Junius Brutus

[生]1796.5.1. ロンドン
[没]1852.11.30. ミシシッピ川の船上
イギリス生れのアメリカの俳優。 1817~20年ロンドンのコベントガーデン劇場で E.キーンと共演し名声を博したが,21年アメリカに渡り,以後アメリカの舞台で活躍,リチャード3世,オセロ,シャイロック役など,なかでもシェークスピア悲劇を得意とした。また劇場経営にも手腕をふるった。

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百科事典マイペディア 「ブース」の意味・わかりやすい解説

ブース

米国の俳優。父親は英国出身の俳優。シェークスピア劇で当りをとり,米国の至宝的名優とうたわれた。1880年―1882年にはH.アービングとロンドンで共演した。ニューヨークに〈ブース劇場〉を創設。弟のJohn Wilkes Booth〔1838-1865〕も俳優として活躍したが,1865年観劇中のリンカン大統領を暗殺。追われて射殺された。

ブース

救世軍の創始者。初めメソディスト派の伝道者だったが,のち独立してロンドンのイースト・エンドの貧民街に入り,教会の外で大衆のための伝道を開始,1878年救世軍を創設して伝道と社会事業とに献身した。夫人キャサリンCatherine〔1829-1890〕も伝道者として知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブース」の解説

ブース Booth, Frank Stelle

1881-1957 アメリカの実業家。
明治14年5月15日長崎生まれ。横浜フェリス女学校2代校長E.S.ブースの長男。日魯(にちろ)漁業の経営にくわわり,缶詰の製造・輸出につとめた。大学時代をのぞき日本でくらし,第二次世界大戦中は収容所にいれられた。戦後は日本再建のため占領軍との交渉に献身。昭和32年1月29日妻南部秀子とともに強盗におそわれ死去。75歳。ラトガーズ大卒。著作に「黄金の土」。

ブース Booth, William

1829-1912 イギリスの伝道者。
1829年4月10日生まれ。メソジスト派の牧師。ロンドン東部の貧民街で伝道するうち,物心両面にわたる社会的救済の必要を感じ,1877年軍隊組織の救世軍を創立した。明治40年来日し,山室軍平らと救世軍活動の普及につとめた。1912年8月20日ロンドンで死去。83歳。ノッティンガム出身。

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デジタル大辞泉プラス 「ブース」の解説

ブース

アントニオ・ストラディバリ製作によるバイオリン。1716年製。日本音楽財団が保有している。名称は、19世紀中頃にイギリスのブース夫人が所有していたことにちなむ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ブース」の解説

ブース
William Booth

1829〜1912
イギリスの宗教家
1878年救世軍を創立して貧民・犯罪者への慈善事業と伝道につとめ,各国に影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のブースの言及

【都市社会学】より

…都市生活の実態をふまえて,都市,都市の地域・地区,都市圏の現状,動態,変貌を解明しようとする特殊社会学の一分野。都市社会学の研究は,1920年代にアメリカで当初は人間生態学の観点から行われ,C.ブースの《ロンドン民衆の生活と労働》(全17巻,1902‐03),トマスWilliam I.Thomas(1863‐1947)とF.W.ズナニエツキーの共著《ヨーロッパおよびアメリカにおけるポーランド農民》(1918‐20),シカゴ学派のR.E.パーク,E.W.バージェス,R.D.マッケンジーによる共著《都市》(1925)が注目される。都市研究の観点と方向とを理論的に明らかにした《都市》は,その後の都市社会学研究の出発点となった。…

【救世軍】より

…1865年,イギリスのメソディスト教会牧師ブースWilliam Booth(1829‐1912)は,ロンドン東部貧民地区の飲酒,悪徳,賭博その他の罪過にあえぎ,教会からは遠ざかる住民のために〈クリスチャン・ミッション〉と呼ばれる熱烈な伝道組織を創設した。これが78年〈救世軍〉と改称し,軍旗と軍楽隊,軍服型の制服や規律正しい軍隊的秩序をもって,独自の伝道戦線を展開した。…

※「ブース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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