改訂新版 世界大百科事典 「ガファールハーン」の意味・わかりやすい解説
ガファール・ハーン
Khān Abdul Gaffār Khān
生没年:1890-1988
インド北西辺境州(現,パキスタン内)出身の政治指導者。アリーガルで教育を受けたあとイスラムの改革運動に加わるが,1919年から反ローラット法運動,ヒラーファト運動に参加。終始国民会議派と行動をともにし,ガンディーと深い親交を保ち,〈辺境のガンディー〉と称された。この間投獄生活14年。1929年同胞のパシュトゥーン(パクツーン人)を糾合し〈クダーイ・キドマトガルKhudāi Khidmatgar(神の下僕)〉という強固な運動体を組織。46-47年の時点で激しくインド分割に反対し,結局分割を認めた会議派に幻滅し,これを離脱。47年以後はパキスタンへ編入されたパシュトゥーンの解放を求めるパクツニスタン運動を指導し,政府の弾圧を受けた。
執筆者:内藤 雅雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報