改訂新版 世界大百科事典 「ヒラーファト運動」の意味・わかりやすい解説
ヒラーファト運動 (ヒラーファトうんどう)
第1次世界大戦後のイギリスの対トルコ政策,とくにイスラム国家最高主権者カリフの廃止をめぐり,カリフ制擁護を掲げてインド・ムスリムが立ち上がった反英闘争の一つ。アリー兄弟,アーザード,モハニらが結成したヒラーファトKhilāfat委員会に対して,この問題をヒンドゥー・ムスリム統一強化の好機とするガンディーは,国民会議派組織を挙げてこれに合流,自ら全インド・ヒラーファト委員会議長となる。多くのムスリム大衆は〈ヒラーファト〉の意味をカリフ制ととらず,イギリスへの〈対抗〉(キラーフ)と考えていたといわれるが,従来ムスリム連盟が組織しえなかった農村ムスリム大衆を反英民族運動に糾合した歴史的意味は大きい。一方,この運動によって政治に宗教が持ち込まれることになったとするガンディー批判は,今日のインド歴史家の中にもある。セーブル条約が締結され,その後ケマル・アタチュルクがトルコの実権を握り,カリフ制を廃止し,近代化を推進する中でインド人のトルコへの関心は薄まった。
執筆者:内藤 雅雄
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