現代外国人名録2016 「キム・ヒョンヒ」の解説
キム・ヒョンヒ
金 賢姫
Kim Hyon-hui
- 職業・肩書
- 元朝鮮労働党中央委員会調査部所属特殊工作員 大韓航空機爆破事件の元死刑囚
- 生年月日
- 1962年1月27日
- 出生地
- 北朝鮮・平壌
- 別名
- 偽名=蜂谷 真由美(ハチヤ マユミ), 工作員名=金 玉花(キム オックァ)
- 学歴
- 金日成総合大学予科1年修了,平壌外国語大学日本語科2年〔1980年〕中退
- 経歴
- 1987年11月29日、バグダッド発ソウル行きの大韓航空機858便がビルマ沖で空中爆発し、乗客95人乗員20人全員が死亡した事件に関連して、12月1日バーレーンで逮捕された。日本人・蜂谷真由美の旅券を所持していたが、韓国に移送されてからの取調べで北朝鮮の工作員と判明。12月23日バーレーンで自殺した金勝一(偽名・蜂谷真一)とともに飛行機に時限爆弾を仕掛けたことを自供した。供述によれば、北朝鮮の外交官の長女で、’63〜67年まで父とともにキューバに在住。’77年金日成総合大学に入学。’80年平壌外語大学日本語科2年在学中に、容貌と日本語能力、出身階層が良好であったため、朝鮮労働党中央委員会調査部工作員に選ばれ、以来8年間工作員としての訓練を受けたという。’88年1月ソウルで初の記者会見、金賢姫フィーバーが起きる。’89年韓国の検察当局から国家保安法違反などの罪で起訴され、同年4月25日ソウル地裁で求刑通り死刑判決が言い渡された。二審、大法院(最高裁)でも支持され、’90年3月死刑が確定したが、4月韓国政府は特赦を決定、自由の身となった。この間、’89年2月キリスト教に入信。’91年韓国国家安全企画部の嘱託職員となり、全国各地で講演、また自叙伝「いま、女として」を出版、日韓両国でベストセラーとなる。他に「愛を感じるとき」(’92年)、「李恩恵、そしてタグチヤエコ」(’95年)、ビデオ「金賢姫 私と北朝鮮」(’94年)がある。宮本輝の訳書なども手がける。’97年12月自身のボディーガードを務めていた国家安全企画部の男性と結婚し、一男一女をもうけた。以降、マスコミから身を隠す。2009年3月北朝鮮による拉致被害者、田口八重子さんの家族と韓国・釜山市内で面会し、12年ぶりに日本の報道陣に姿を見せた。2010年7月大韓航空機爆破事件後初めて来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報