改訂新版 世界大百科事典 「キリキアアルメニア王国」の意味・わかりやすい解説
キリキア・アルメニア王国 (キリキアアルメニアおうこく)
アルメニア人が小アジア南東部キリキア地方に建てた国家。1080-1375年。10~11世紀アルメニア人は,アラブ人の侵攻のためギリシア人人口が希薄になっていたタウロス(現,トロス)山脈の山中に集団移住した。このような集団の一つの指導者ルーベン家はビザンティン帝国から全キリキアを奪い,十字軍が占領地で建てた諸国と密接な関係を保ちつつ,新国家を樹立した。この王国の最盛期は初めて王号を採用(1199)したレボン2世の治世期(1187-1219)で,農業,手工業が発展し,首都シス,港湾都市アヤスは東西交易の中継地として栄え,絵画ではキリキア派を生んだ。レボンの死後王権はヘトゥーム朝(1226-1341),リュジニャン朝(あるいはルシグナン朝,1342-75)と移った。13世紀後半からは,間断なくマムルーク朝の攻撃を受け,経済力も王権も衰退の道をたどった。1375年最終的にマムルーク朝に占領された後は,王号のみがキプロス王のもとに残された。
執筆者:北川 誠一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報