キンブリ族(読み)キンブリぞく(その他表記)Cimbri

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キンブリ族」の意味・わかりやすい解説

キンブリ族
キンブリぞく
Cimbri

古ゲルマンの部族ユトラント (ユラン) 半島のヒンメルラントから,前2世紀に南下し,エルベ川を越え西進,ノリクムのノレイアでローマ軍を破る。テウトニ族などとともにガリアに侵入,連戦連勝。特に前 105年のアラウシオの戦いでは8万人のローマ軍を倒し,おりからヌミディアでユグルタ戦争に忙殺されていたローマに衝撃を与えた。イベリア半島へ侵入し,再度ガリアに戻ってからはテウトニ族と離反。前 101年に G.マリウスの軍に各個撃破された。

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世界大百科事典(旧版)内のキンブリ族の言及

【アラウシオの戦】より

…前105年キンブリ族がガリア・ナルボネンシス州のアラウシオArausio(現,フランスのオランジュ)近郊で,ローマ正規軍の5軍団を全滅させた戦い。すでに前113年以来ローマは数度キンブリ族と衝突して敗れていたが,アラウシオでの敗戦はローマ・ゲルマン交渉史上ローマが喫した最初の大敗北であり,また中小農民の没落によるローマの軍事力低下を象徴するものであった。…

【ゲルマン人】より

…言語系統としては,ケルト人やイタリキと親近関係にあるともされている。ゲルマンという呼称の由来は不詳であるが,この語が文献上最初にあらわれるのは,前80年ころ,ギリシアの歴史記述家ポセイドニオスが,前2世紀末におけるゲルマンの小部族,キンブリ族Cimbriとテウトニ族Teutoniのガリアへの侵寇を叙述した記録においてである。もっともそれ以前,前4世紀の末に,マッシリア(マルセイユ)にいたギリシア人航海者ピュテアスが,ノルウェーやユトランド半島に出向いた際の記録の一部が残っているが,そこではまだそこに住んでいた民族について,ゲルマンという呼称は使われていない。…

【チュートン人】より

…狭義には古代ゲルマン人の一派テウトネス族Teutones,Teutoniをいう。彼らはユトランド半島に住んでいたが,浸食や高波による土地荒廃のため,隣接するキンブリ族Cimbriとともに南方移動を開始,前110年ころまでにはヘルウェティイ族Helvetii(スイス中部に住んでいたケルト系部族)の一部も加えてライン川に達し,ガリアへ侵入した。前105年アラウシオの戦でローマ軍勢を全滅させ,ローマを震憾させたが,その後キンブリ族は別行動をとってスペインへ向かった。…

※「キンブリ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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