ユグルタ戦争(読み)ユグルタせんそう(その他表記)Jugurtha

旺文社世界史事典 三訂版 「ユグルタ戦争」の解説

ユグルタ戦争
ユグルタせんそう
Jugurtha

前111〜前105
共和政ローマ末期の北アフリカのヌミディア王ユグルタの反乱
策略によって王となったユグルタ(在位前113〜前104)が,ローマの支配者を買収してその地位を保とうとしたが,領内でのローマ人殺害をめぐって,ローマとの戦闘となる。“アフリカの解放者”と称して,原住民味方に入れ,しばしばローマ軍を破るが,派遣されたマリウスの遠征軍に捕らえられ,ローマに送られて獄死した。この戦争を機に,ローマ閥族の腐敗も表面化した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ユグルタ戦争」の解説

ユグルタ戦争(ユグルタせんそう)

前112~前105年,北アフリカのヌミディアユグルタとローマとの戦い。平定者はローマの将軍マリウス。その副官スラがユグルタを捕えた。サルスティウスの『ユグルタ戦争』はこの戦いを描いたもの。

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世界大百科事典(旧版)内のユグルタ戦争の言及

【マリウス】より

…前119年に護民官となり,民会投票者への門閥貴族の圧力を排除する〈投票法〉を成立させた。前112年にユグルタ戦争が起こると,前109年にコンスル(執政官),メテルスの副官となり,前107年には彼自身コンスルとなってメテルスに代わる軍司令官になったが,出陣の際兵制改革を行った。すなわち,従来ローマでは一定基準以上の財産をもつ中小農民が軍隊の基幹をなしていたが,時とともにこの社会層が没落し,兵士になる財産資格もしだいに下げられた。…

【ユグルタ】より

…伯父の死後,その遺児アドヘルバルAdherbal,ヒエムプサルHiempsalとともに王位に就いたが,ミキプサの政策の変更を唱えて二人と対立,内戦となる(前118)。ローマの調停で王国を折半した後も紛争は続き,ユグルタは元老院に逆らってアドヘルバルを打倒(前112),ローマは宣戦布告する(ユグルタ戦争)。開戦早々名門出身のコンスル,ベスティアLucius Calpurnius Bestiaとの間に講和が成立したが,これはユグルタによる貴族買収との疑惑を呼び,グラックス兄弟の改革圧殺以来くすぶっていたローマ民衆の反貴族感情に火をつけ,疑惑の解明と戦争継続を叫ぶ平民派(ポプラレス)の台頭をもたらした。…

※「ユグルタ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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