クノップフ
Fernand Khnopff
生没年:1858-1921
ベルギーの画家。デンデルモンデ近郊グレンベルヘンGrembergen生れ。ブリュッセル大学法学部に入学したが,画家を志して,アカデミーおよびメルリXavier Melleryのもとで学び,モローやラファエル前派の影響を受けて象徴主義に向かう。1884年美術団体〈レ・バン(二十人組)〉の創設に参加。さらにフランスの神秘主義者ペラダン主宰の〈薔薇十字〉展にもかかわりをもち,ブリュッセルにおいてベルギーを代表する象徴主義の画家として,女の魔性や芸術家の孤高性などを暗示的に表現した文学的作品を制作,一方で上流社会の女性たちの肖像画を描く。98年にはウィーンのゼツェッシオン(分離派)の第1回展に出品,クリムトに影響を与えた。象徴主義文学の挿絵も手がけ,彫刻や自邸の設計にも携わった。世紀末イギリスの美術雑誌《ステューディオStudio》にも寄稿。
執筆者:高橋 裕子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のクノップフの言及
【ブリュージュ】より
…また,市立美術館には,ここを舞台に活躍したファン・アイク兄弟,メムリンクなど初期フランドル派の絵画が収蔵される。なお,この町のたたずまいは世紀末の芸術家に霊感を与え,フランスの作家ロデンバックは《死都ブリュージュ》(1892)を残し,象徴主義の画家クノップフも好んでこの町の風景を描いた。第2次大戦後,ブリュージュ地域にもやっと経済開発の波が押し寄せ,目下大臨海工業地帯が建設中である。…
【ベルギー】より
…一方,〈[レ・バン](二十人組)〉が1884年以降ブリュッセルで国際的規模の展覧会を開いたことにより,印象主義,新印象主義等,パリの最新の動向が伝えられた。ベルギーは世紀末の象徴主義の一中心でもあり,〈レ・バン〉の創設者の一人クノップフがこれを代表する。同じく創立会員のアンソールは,独特の幻想世界を創造,強烈な色彩と大胆な筆致により,表現主義の先駆ともなった。…
【レ・バン】より
…〈20(人)〉の意で,〈二十人組〉と訳されることもある。芸術愛好家の弁護士マウスOctave Maus(1856‐1919)が幹事となり,フォーヘルスJ.Vogels,[アンソール],[クノップフ],ファン・レイセルベルヘT.van Rysselbergheら20人で発足した。のち外国からトーロップ(オランダ),ロダン(フランス)などが参加する一方,退会者もあり,メンバーは通算32名であった。…
※「クノップフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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