精選版 日本国語大辞典 「象徴主義」の意味・読み・例文・類語
しょうちょう‐しゅぎ シャウチョウ‥【象徴主義】
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サンボリスム、シンボリズム。狭義には、1885年ごろから世紀末にかけてパリを中心に、高踏派や自然主義の文学への反発からおこった文学運動。だが広義には、19世紀後半から20世紀前半に及ぶ一つの文芸思潮と考えられる。象徴主義は文学を出発点としたものであったが、その影響は絵画、音楽、演劇など、あらゆる芸術分野に及んだ。
20世紀の代表的な象徴派の詩人ポール・バレリーは「象徴主義は一つの流派ではない」といったが、象徴主義をひとことで定義づけることはむずかしい。『象徴主義 挿話と思い出』(1903)の著者で詩人のアドルフ・レッテAdolphe Retté(1863―1930)も、象徴派の詩人たちに個別に質問すれば、「質問された人間の数と同じだけの定義が戻ってくる」と語っている。こうした意味で、レミ・ド・グールモンの「芸術における個人主義の表現」(『仮面の書』1896~98)という定義は、もっとも正鵠(せいこう)を射ているように思われる。
19世紀に入るとフランスではボードレール、ベルレーヌ、ランボー、マラルメなどに私淑する青年詩人が輩出した。マラルメ門下のジャン・モレアスは1886年9月18日の『フィガロ』紙に、「一つの文学宣言」として象徴主義宣言を発表した。しかし、モレアスの宣言は時代錯誤的な尚古趣味に偏ったものであり、具体性にも欠けていたので、象徴主義の純然たるマニフェストとはなりえなかった。モレアス自身、やがて象徴主義に背を向け、古代・中世の世界に隠遁(いんとん)した。
[窪田般彌]
象徴主義の先駆的詩人としては、ビニー、女流詩人のマルスリーヌ・デボルド・バルモール、サント・ブーブ、ネルバルなどをあげることができるが、とくに重要な詩人はボードレールである。彼の『悪の華』には象徴主義の詩論ともいうべき「万物照応」の一編があり、「自然は一つの神殿」という宇宙感覚と、「香りと色と響きがこたえ合う」共感覚の詩法が歌われている。ボードレールによれば、「詩人は普遍的類推の解読者」でなければならない。これはロマン派の心情吐露や高踏派の描写の拒否であり、その意図するところは、映像および音楽的表現による暗示である。新聞記者ジュール・ユレJules Huret(1864―1915)の質問に対して、マラルメはこう答えた。「これ物象を明示するは詩興4分の3を没却するものなり……暗示はこれ幻想にあらずや。這般(しゃはん)幽玄の運用を象徴と名づく」(上田敏(びん)訳)。
こうした内面の暗示は、ランボーの「見者の美学」やベルレーヌの「音楽」と無縁なものではない。「ことばの錬金術」に没頭したランボーは、感覚を錯乱させることによって「未知のもの」に到着しようとしたし、「雄弁をつかまえ、その首をねじあげよ!」と叫ぶベルレーヌは、「何よりもまず音楽を」と、奇数脚と陰影の「音楽」を奏でることを提唱した。これら3人の先駆者のことばを要約すれば、オスモン夫人Mme Osmontが指摘しているように、象徴主義は「映像および音楽によって暗示を求める創作」である。アメリカの批評家エドマンド・ウィルソンもポーのことばを借りて、「音楽の不定性」に近づくことが象徴主義の主要な目的であると述べている。要するに、象徴派の意図は、「音楽から詩人たちの富を取り戻す」というバレリーの簡潔なことばに要約される。
[窪田般彌]
アルベール・チボーデは、象徴主義の功績として、自由詩の誕生、純粋詩の確立、先鋭なる前衛主義(アバンギャルド)の自覚の3点をあげている。とくにギュスターブ・カーンGustave Kahn(1859―1936)やラフォルグによって推進された自由詩は、20世紀に継承され、アポリネールを先頭とする現代詩の起点となった。
象徴主義の影響は大きく、単にフランス一国だけにとどまらず、全ヨーロッパ的なものとなった。このことは、マラルメの「火曜会」に集まった多彩な顔ぶれや、多くの外国人の参加をみるならば、十分な証(あかし)となるだろう。わが国においても、上田敏の訳詩や蒲原有明(かんばらありあけ)の創作詩によって、明治から大正にかけて象徴主義的風土が確立された。
[窪田般彌]
19世紀末から20世紀初頭へかけて(1890~1910)ロシア文壇の主流であった流派。他の芸術文化のさまざまな分野と深くかかわり合いながら、世紀初頭のロシア文化の高揚をもたらした。19世紀のロシア文学に支配的であった、芸術の功利性、政治・社会性、「文学の社会への奉仕」というイデーを排し、芸術の自律、手段そのもの、形式の練磨を目ざして、ロシア詩法を一新した。一方、世紀末の危機意識、時代の終焉(しゅうえん)への予感は、未来の世代のための「虚空(こくう)に架け渡された橋」(メレジコフスキー)、捨て石に自らを擬する、自己犠牲的な使命感を生んだ。19世紀中葉以降のロシア散文の隆盛のなかで影の薄かったロマン主義詩人たちを再評価しよみがえらせ、その伝統を受け継いだことによって、ドイツ・ロマン主義の系譜のうえにもたつ。また哲学者ソロビヨフやニーチェの影響も大きかった。したがって、詩的表現の新しい形式の探求から「純粋詩」へ至るフランス象徴主義とは違って、ロシア象徴主義は哲学的、思弁的であり、神秘的魔術(テウルギー)、神知学(テオソフィー)へ至る傾きを有した。
ロシア象徴主義は普通2期に分けて考えられており、前期に属するのはブリューソフ、バリモント、メレジコフスキー、ギッピウス、ソログープ、後期に属するのは20世紀初頭以降に登場するブローク、ベールイ、V・I・イワーノフ、アンネンスキー、ボローシンらの詩人である。なお、とくに前期詩人たちを「デカダン派」とよんで区別する場合がある。もともとはその難解さ、とっぴさ、非道徳性に対する罵(ののし)りことばであった。
[小平 武]
美学的には、象徴、寓意(ぐうい)、アトリビュート(属徴、表徴)などの手法によって、本来、形象化しえない超自然的な世界、あるいは内面、観念などをイメージによって伝達する方法をさす。したがって、宗教的図像の多くは象徴主義的であり、とくにキリスト教中世は象徴主義的表現の全盛期であったといえよう。しかし近年、美術史的には、19世紀後半、印象主義などの実証的表現への対立と抵抗という形で現れ、広範囲な芸術表現に及んだ傾向を、漠然とではあるが、象徴主義、象徴派の名でよぶのが普通である。狭義には、象徴派の批評家アルベール・オーリエがゴーギャンとその周辺の画家たちを美術上の象徴派とみなし、ナビ派のモーリス・ドニもまた自らのグループを象徴派とみなしたことから、いわゆる総合主義とほとんど同義に用いられる場合もある。
19世紀象徴主義は、実証と進歩に導かれた合理主義、写実主義を社会的原則としたこの時代の精神の側面に内在していた「個」の内面的、情緒的世界への探索の要求に対応する。ロマン派は、いわば情熱を外化することによって「個」を確認したが、しかし他方では、神秘的な内面への沈潜をも用意していた。ドイツのカスパー・フリードリヒ、ナザレ派、そしてイギリスのラファエル前派などが、こうしたロマン主義から象徴主義への道を開いている。
生と死、不安、愛、性などさまざまなテーマがここでは取り上げられる。たとえばゴーギャンの『われらいずこより来たり、いずこへ行くのか、われらは何であるか?』、クリムトの「水蛇」、ホドラーの『夜』、ムンクの『叫び』などである。一方、やはり象徴派の先駆者の一人ホイッスラーは、主題ではなく、色彩や筆触の音楽的情調のみに象徴性をみいだそうとした。この考え方はマラルメたちの方法にも対応している。ゴーギャンもしばしば、自分の絵が象徴主義的であるのは、主題によってではなく、画面の形態や色彩の音楽的配置にあると説明し、ドニもまた同じことを語っている。したがって19世紀象徴主義は、主題的、文学的な側面からと、純粋造形的な構成という、一見対立しあう二つの観念によって両面からとらえられなければならない。それにもかかわらず象徴主義は19世紀後半、とくに1880年代から20世紀初頭にかけて、「世紀末」「アール・ヌーボー」と複合しつつ、非常に広範囲に波及していった。ゴッホ、ゴーギャンの場合はもちろんのこと、晩年のセザンヌやモネに象徴主義的な側面をみいだすこともできる。しかしおもな潮流としては、フランスではピュビス・ド・シャバンヌ、ルドン、モローなど、ベルギーでは「薔薇(ばら)十字」のグループ、スイスではホドラー、オーストリアではクリムト、イギリスではラファエル前派の後期の制作、北欧ではムンクたちをあげることができる。この種の傾向は1910年代まで残存するが、20世紀初頭には、フォービスム、キュビスムの出現によってしだいにその力を失っていった。
[中山公男]
『ピエール・マルチノ著、木内孝訳『高踏派と象徴主義』(1969・審美社)』▽『アルベール・マリ・シュミット著、清水茂・窪田般彌訳『象徴主義』(白水社・文庫クセジュ)』▽『「フランス象徴派覚書」(『鈴木信太郎全集 第4巻』所収・1973・大修館書店)』▽『松室三郎著「象徴主義の成立・系譜」(『フランス文学講座3』所収・1979・大修館書店)』▽『アンリ・ペール著、堀田郷弘・岡川友久訳『象徴主義文学』(白水社・文庫クセジュ)』▽『黒田辰男著『ロシヤ・シンボリズム研究』(1979・光和堂)』▽『ハンス・H・ホーフシュテッター著、種村季弘訳『象徴主義と世紀末芸術』(1970・美術出版社)』
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1880年代のフランスに始まった文学運動。自然主義,写実主義に反発して,言葉の持つイメージと音楽性により感覚や心的状態の微妙な陰影を暗示しようとする。ボードレールの影響を受けてヴェルレーヌ,ランボー,マラルメにより詩の分野で実現されたこの運動は,19世紀末の退廃の詩人たちに引き継がれ,また,クローデル,ヴァレリ,プルーストら20世紀の作家に深い影響を与えた。
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…しかし一方ではアカデミズム以外にも,この運動に対する批判が同時代からすでにあった。印象派があまりにも目に見える現実のみを映すことで精神的内容を看過している,とする立場(モロー,ルドン)は象徴主義と呼ばれる傾向を生み,また後期印象派と名づけられた一群の作家たちもこの反省のうえに立っていた。また新印象主義は印象主義の本能的な部分を乗り越えようとし,科学的・理論的にこれを体系づけた。…
…レビは主著《高等魔術の教理と祭儀》(1856)によって同時代に衝撃を与え,その影響下からパピュスの〈マルティニスト協会〉が生まれた。レビやパピュスの理論は,ユイスマンス,M.バレス,ペラダンのような文学者をはじめ,〈薔薇十字団サロン展〉に参加した画家たち(ゴーギャン,G.モロー,ナビ派など)をも魅了し,フランス象徴主義に文学的芸術的表現を見いだした。イギリスではW.W.ウェストコットがオカルト結社〈黄金の暁教団〉を組織し,D.フォーチュン,クローリー,S.L.M.メーザーズのような魔術師を傘下から生み出し,また詩人W.B.イェーツに霊感を与えた。…
…原詩の気息を生かした柔軟な翻訳で,ルコント・ド・リールの〈象〉など高踏派の壮麗な詩体は雅語を連ねた重厚な調べに移され,G.ダヌンツィオの華麗な〈燕の歌〉,R.ブラウニングの清新な〈春の朝〉,カール・ブッセの浪漫的な〈山のあなた〉など,いずれも名訳の誉れが高い。しかしこの集の意義は何といっても象徴主義の紹介にあり,序文ではE.ベルハーレンの〈鷺の歌〉を例にして象徴詩論が試みられており,これは以後日本の象徴詩の指標となった。作品ではC.ボードレールの〈薄暮(くれがた)の曲〉,S.マラルメの〈嗟嘆(といき)〉,P.ベルレーヌの〈落葉(らくよう)〉など,いずれも原詩の情趣をよく伝え,訳詩の極致とされている。…
…1880年から85年にかけて,マラルメの〈火曜会〉に列席する青年たちがしだいに数を増してき,他方ではカフェを中心として,数多くのクラブが設立されたり小雑誌が刊行されたりして,デカダンスの美学を公然と口にする者がふえてきた。その際,彼らが師表として仰いだ先輩詩人はボードレール,ビリエ・ド・リラダン,ベルレーヌ,マラルメであったから,その運動は象徴主義(サンボリスム)のそれと重なり合うことになった。象徴主義が一定の文学理念を表現する言葉であるのに対して,デカダンスはむしろその心情的,ムード的な側面をあらわしているといえよう。…
…また歴史家ミシュレ,近代批評の基礎を築いたサント・ブーブも,19世紀前半の文学を多彩にした才能として忘れてならない名前である。
[レアリスムと象徴主義]
19世紀の後半になり,〈ロマン主義〉が退潮するとともに,小説の世界ではレアリスムが台頭する。現実生活のもろもろの情景を客観的に提示することを目ざすこの文学思潮の背景には,コントの創始した実証主義の流れがあるが,レアリスム小説の主張は,直接にはテーヌの影響を受けているといわれる。…
…19世紀末の魔術運動にみずから参加したJ.K.ユイスマンス,A.マッケン,B.リットンらの作家は,魔術そのものを文学の主題に据え,儀式魔術の美学的特性を大いに喧伝した。またタロットが新しくデザインされ,ラファエル前派やフランス象徴主義が隆盛を極めたのもこの時期にあたる。フランスではJ.ペラダンを中心に薔薇十字主義の芸術サロンが生まれ,E.サティの音楽などが作られている。…
※「象徴主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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