知恵蔵 「クルム伊達公子」の解説
クルム伊達公子
6歳の時、京都市北区の「テニスクラブセブンスリー」でテニスを始める。その後滋賀県大津市に転居し、京都市山科区の「四ノ宮テニスクラブ」で実力をつけ、瀬田中学校時代には滋賀県テニス選手権で優勝。テニスの名門園田学園高等学校に入学後、88年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成。高校卒業と同時にプロ転向した。
もともとは左利きだが、テニスでは右打ち、バックハンドは両手打ち。相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後に打ち返す「ライジングショット」を武器に活躍。プロ転向後は着実に成績を伸ばし、92年には、テニス4大大会のシード権を得て全仏オープンテニスに出場し4回戦に進出した。他にも、全日本テニス選手権2連覇を達成し、それらの活躍からWTA(女子テニス協会)の「Most Improved Player of the Year(最も進歩した選手)」に選ばれた。
94年1月にオーストラリアのニュー・サウスウェールズ・オープンで海外初優勝、同年全豪オープンで自身初の4大大会での4強入りを果たす。95年の東レ パン・パシフィック・オープン・テニス・トーナメントで初優勝し世界ランキングを自己最高の4位まで上げた。
全豪オープン(94年)、全仏オープン(95年)、全英オープン(96年)でそれぞれベスト4、全米オープンベスト8(93年・94年)などの成績を残し、96年9月に引退を発表した。
2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚。
引退から12年近くを経た08年4月7日、ツアープレーヤーとして復帰することを発表。本名の『 クルム伊達公子 』として登録した。11月には全日本テニス選手権に自身3度目の優勝を果たす。
09年からは4大大会にも出場し、WTAツアーのハンソル・コリア・オープンで優勝するなど、活躍を続けている。12年の全豪オープンでは、錦織圭とペアを組んで混合ダブルスに出場し話題となった。ツアー通算シングルス8勝、ダブルス2勝(2011年末現在)。エステティックTBC所属。
(葛西奈津子 フリーランスライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報