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錦織圭 にしこりけい Kei Nishikori

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知恵蔵2015の解説

錦織圭

島根県松江市出身の男子プロテニス選手。2008年8月の全米オープンで、弱冠18歳にして世界ランキング4位のダビド・フェレール(スペイン)を破り、日本男子としては71年ぶりとなるベスト16入りを果たしたことから、日本テニス界の帝王・松岡修造をしのぐ男子テニスプレイヤーとして注目を浴びている。
5歳からテニスを始め、小学6年生のときに全国選抜ジュニア選手権、全国小学生テニス選手権全日本ジュニアテニス選手権12歳以下の3大会で優勝し、全国制覇を果たす。松岡修造主催のテニス合宿「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」にも参加。松岡は当時を振り返り「小学生の圭は小柄で目立たない選手だったけど、コートではひときわ大きく見え、いままでの日本選手にはないボールさばきやインパクト時の勢いがあった」と述べている。
彼の第一の転機は、13歳のころに米フロリダ州のプロテニスプレイヤー養成学校「IMGニックボロテリー・テニスアカデミー」へ留学したこと。日本テニス協会会長が運営する「盛田正明テニスファンド(MMTF)」奨学金で渡米した期待の選手だけあって、留学後早くもジュニアテニスの世界選手権オレンジボウル14歳以下の部で準優勝している。このころから錦織は活躍の舞台を世界へと移し、順調に才能を開花させていった。
錦織がその名をにわかに轟かせたのは、2006年の全仏オープンジュニア。男子ダブルス部門で、エミリアノ・マサ(アルゼンチン)とペアを組み、日本初の4大大会ジュニア男子優勝という記録を打ち立てた。シングルスでもベスト8の成績を残す。2007年プロに転向し、2008年2月、アメリカで行われたデルレイビーチ国際選手権で見事優勝し、日本男子としては松岡修造以来16年ぶり、2人目のATPツアー(男子プロテニス協会の世界大会)優勝を果たした。全米オープン後の世界ランキング(2008年9月9日現在)は自己最高の81位。
力強いオールラウンドなプレースタイルで対戦相手を翻弄するが、最大の武器は強烈なフォアハンド。特に、ジャンプして体を浮かせながらショット繰り出すストロークは「AIR K(エアーケイ)」と呼ばれ、見る者を惚れ惚れとさせる切れ味パワーがあり、世界では錦織そのものが「AIR K」というニックネームで呼ばれている。
ピュアで端正な容姿から、日本では女性ファンを中心に「リアルテニスの王子様」と称されている。
1989年12月29日生まれ。身長178cm、体重70kg。現在は米フロリダ州を練習拠点としている。

(高野朋美 フリーライター / 2008年)

錦織圭

日本の男子プロテニス選手。1989年12月29日生まれ、島根県松江市出身。身長178センチメートル、体重70キログラム。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
5歳からテニスを始め、2001年、小学6年生の時に全国選抜ジュニア選手権、全国小学生テニス選手権、全日本ジュニアテニス選手権12歳以下の3大会で優勝し、史上5人目となる全国制覇3冠を達成した。03年、(財)盛田正明テニスファンドの援助を受け、アメリカのプロテニスプレイヤー養成学校「IMGニックボロテリー・テニスアカデミー」にテニス留学。ジュニアテニスの世界選手権オレンジボウル14歳以下の部で準優勝するなど、ジュニアサーキットを転戦した。06年6月の全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で優勝、男子ジュニアシングルスでもベスト8に入っている。
07年10月にプロ転向し、翌08年2月、デルレイビーチ国際選手権で松岡修造以来16年ぶり、日本男子史上2人目のATPツアー(世界男子テニスツアー)優勝を飾った。8月の全米オープンでは、日本男子シングルス71年ぶりのベスト16に進出するなどの活躍で、その年のATPツアー最優秀新人賞を受賞した。
09年、右ひじの疲労骨折によりツアーを欠場。内視鏡手術リハビリを経て、10年2月にツアー復帰。この年の全仏オープンで2回戦進出。全米オープンでは3回戦まで勝ち上がった。11年には、世界ランキングの日本男子最高位を19年ぶりに更新して30位に入り、11月には、当時世界ランク1位のノバク・ジョコビッチを破る金星を挙げた。
12年、全豪オープンでベスト8に進出し、世界ランキング20位に到達。ロンドン五輪では準々決勝に進出し、5位入賞。10月の楽天ジャパン・オープンで、ツアー2勝目を挙げた。
13年は、世界ランキングを11位まで更新。
14年は、1989年全仏オープンの覇者、マイケル・チャンコーチに迎え、4月のバルセロナ・オープンに優勝、マドリードマスターズで準優勝と立て続けに好成績を上げ、5月の世界ランキングでは9位を記録した。8月の全米オープンで、ランキング上位選手を次々と破って決勝に進出。決勝では、クロアチアのチリッチに敗れたものの、アジア人男子としては初のグランドスラム準優勝を達成し、ランキングはシングル世界7位まで上昇。更に10月の楽天ジャパン・オープンで優勝し、自己最高位の6位に上がった。
全米オープンでの活躍を機に、錦織が使用するウエアラケットに人気が殺到。ウエアを提供するユニクロでは、大阪と東京の計3店舗とオンラインストアで、錦織選手着用モデルがほぼ品切れになった。全米オープンの国内の独占放映権を持つ有料放送WOWOWは、決勝中継を前に加入申し込みが殺到し、2014年9月の新規加入件数は前月の3.6倍に増えて、1991年の開局以来最高になったという。
現在は日清食品所属。米国フロリダ州に在住し、練習拠点をIMGアカデミーに置く。コーチはチャンの他、ダンテ・ボッティーニ、トレーナーは中尾公一。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2014年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

錦織圭 にしこり-けい

1989- 平成時代のテニス選手。
平成元年12月29日生まれ。5歳でテニスをはじめる。小学6年の平成13年全国選抜ジュニア選手権,全国小学生大会,全日本ジュニア12歳以下で優勝して3冠を達成。15年アメリカのニック・ボラテリー・テニス・アカデミーに留学。18年全仏オープンジュニアでベスト8,ダブルスで優勝。20年デルレイビーチ国際選手権でATP(男子プロテニス協会)ツアー初優勝。同年全米オープンはベスト16に進出。21年はひじの故障とその手術・リハビリですごす。復活後の22年全米オープンで3回戦進出をはたす。24年全豪オープンで日本選手80年ぶりのベスト8に進出。同年ロンドン五輪では添田豪と組んだダブルスは1回戦で敗退したが,シングルスでは1回戦で五輪で88年ぶりの勝利をあげ,3回戦を勝ち上がりベスト8にすすみ,5位入賞。同じく24年ジャパンオープンで優勝しATPツアー2勝目をあげる。26年全米オープン・シングルスで準優勝。同年ATPワールドツアー・ファイナルに出場し,準決勝に進出。日清食品所属。島根県出身。青森山田高卒。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

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