改訂新版 世界大百科事典 「クワトリー」の意味・わかりやすい解説
クワトリー
Shukrī al-Quwwatlī
生没年:1892-1967
シリアの政治家。ダマスクスに生まれる。青年時代からアラブ民族主義運動に加わり,1911年設立の民族主義者の結社ファタートの指導者となる。第1次世界大戦中はオスマン・トルコの圧迫を受けた。ファイサル政体のもとでダマスクスの知事となり,のちフランス当局による死刑判決を逃れ,20年からエジプト,ヨーロッパに亡命。31年帰国し,ナショナル・ブロックの指導者の一人として独立闘争を率いる。43年大統領に選出されるが,49年3月フスニー・アッザイームḤusnī al-Za`īm(1889か96-1949)のクーデタによって免職され,エジプトに逃亡。54年帰国し,翌年再び大統領に選出されて親エジプト路線をとる。58年アラブ連合共和国の成立に伴い大統領を辞任し政界から引退した。
執筆者:木村 喜博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報