現代外国人名録2016 「コフィ・アッタアナン」の解説
コフィ・アッタ アナン
Kofi Atta Annan
- 職業・肩書
- 外交官 コフィ・アナン財団理事長 元国連事務総長
- 国籍
- ガーナ
- 生年月日
- 1938年4月8日
- 出生地
- 英領黄金海岸アシャンティ地方クマシ(ガーナ)
- 学歴
- クマシ科学技術大学〔1958年〕卒,マカレスター・カレッジ(米国)経済学部〔1961年〕卒,マサチューセッツ工科大学大学院経営学〔1972年〕修士課程修了
- 勲章褒章
- 旭日大綬章(日本)〔2007年〕
- 受賞
- ノーベル平和賞〔2001年〕,ソウル平和賞(第4回)〔1998年〕
- 経歴
- 父は首長。クマシ科学技術大学を卒業後、1959年から米国ミネソタ州のマカレスター・カレッジ留学などを経て、’62年国連本部事務局入り。世界保健機関(WHO)行財政担当官、国連本部事務局予算部長、行財政局財務官などを歴任。’92〜93年平和維持活動(PKO)局次長、’93〜96年PKO担当事務次長。この間、’95年10月から半年間、ユーゴスラビア担当国連特別代表を務めた。’97年1月第7代国連事務総長に就任。以後、人権保護、南北格差是正、地域紛争対策などに尽力。’98年2月国連による大量破壊兵器の査察を拒否し米国などによる武力制裁の緊張が高まっていたイラクを訪問、調停にあたりアジズ副首相と大量破壊兵器の廃棄の実施に関する合意文書に署名した。エイズ問題にも積極的に取り組み、2001年6月国連史上初の特別総会を開催。同年12月世界の紛争解決や平和維持への貢献などが評価され、国連本体とともにノーベル平和賞を受賞。2002年1月再任。その後もイラクへの武力制裁阻止に取り組んだが、2003年米国らによるイラク攻撃を阻止できず、イラク戦争が勃発した。2期10年間事務総長を務め、2006年12月退任。2007年コフィ・アナン財団理事長。2012年2月〜8月反体制派への武力弾圧が続くシリアをめぐり、国連とアラブ連合合同のシリア危機担当特使を務める。2002年1月、2004年2月来日。夫人はスウェーデン人法律家。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報