コンスタンチノープル総大主教(読み)コンスタンチノープルそうだいしゅきょう(その他表記)Patriarch of Constantinople

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

コンスタンチノープル総大主教
コンスタンチノープルそうだいしゅきょう
Patriarch of Constantinople

総大主教 (総主教ともいう) の名は5世紀以後,ローマ,アレクサンドリア,アンチオキアコンスタンチノープルエルサレムの五大主教に与えられたが,このうち前3者はニカイア公会議 (325) で,後2者はカルケドン公会議 (451) で承認された。やがてコンスタンチノープルは,東ローマ (ビザンチン) 帝国の首都主教座としての勢威によってローマと首位の座を争い世界総主教 ecumenical patriarchを称した。その後,ローマは総主教の名のほかに教皇という名を専用に設けた。コンスタンチノープルはローマと対立し,ビザンチン帝国皇帝教皇主義の中心となった。その後 1917年にはモスクワ,第2次世界大戦後はユーゴスラビアルーマニアブルガリアにも総主教制が設けられた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む