アンチオキア(その他表記)Antiocheia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンチオキア」の意味・わかりやすい解説

アンチオキア
Antiocheia

古代シリア,オロンテス川の南側にあった町。今日のトルコ南部アンタキア Antakya。前4世紀末にセレウコス朝シリアの始祖セレウコス1世によって建設された。ローマ帝国時代にシリア総督府が設置され,ローマ,エジプトのアレクサンドリアに次いで繁栄。早くからキリスト教が伝えられ,新約聖書の時代エルサレムに次ぐ重要な教会が置かれた。『使徒行伝』11章26によれば,ここで初めてキリスト教徒をクリスチアノスと呼ぶならわしが生まれたとされる。4世紀のキリスト教公認後,アンチオキアにはローマ,コンスタンチノープル,アレクサンドリア,エルサレムとともに主教座が置かれ,ローマ,コンスタンチノープルに次ぐ序列であったが,のちアレクサンドリア,エルサレムに押されて衰退した。また,ここを中心として 3世紀末から 5世紀初めにかけてアリストテレス主義に立つアンチオキア学派が栄え,プラトン主義に立つアレクサンドリア学派に対立した。

アンチオキア[ピシディア]
Antiocheia Pisidias

小アジアピシディアフリュギア境界にあった古代の町。今日のトルコ西部 Yalvaç近くセレウコス朝シリアの始祖セレウコス1世によって創建され,前189年古代ローマの自由都市となり前25年頃まで支配された。その後まもなくローマ皇帝アウグスツスにより属領とされ,南部ガラテアの軍事的,民政的な行政中心地となった。『使徒行伝』13,14章には,クラウディウス1世の時代に使徒パウロが第1回伝道旅行に際して訪れたとある。ディオクレチアヌスの地方統治再編でピシディアに編入された。

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