改訂新版 世界大百科事典 「カルケドン公会議」の意味・わかりやすい解説
カルケドン公会議 (カルケドンこうかいぎ)
単性論派問題の解決のために451年,小アジアのカルケドンKalchēdōnで開かれた公会議。第4回公会議にあたり,皇帝マルキアヌスが招集した。参加主教の数は約600名とそれまでの最大であったが,西方からはローマ主教の使節とアフリカの主教が参加したにすぎなかった。449年にエウテュケスの単性論をめぐり,エフェソスで開かれた公会議がいわゆる〈盗賊教会会議〉として,単性論派のアレクサンドリア主教ディオスコロスDioskorosの専横に終わったので,カルケドン公会議は〈盗賊教会会議〉の決議を取り消すことを目的とした。その目的は達成されたが,さらにローマ教会と皇帝の要求によって,《レオの教書》(レオ1世)の線に沿った新たな信条〈カルケドン信条〉が作成された。なおディオスコロスは罷免され,教会政治の面からは,アレクサンドリアの凋落および離反を示すものとなった。公会議規則はコンスタンティノープル教会の地位向上を定めたが,ローマ教会はそれを認めなかった。
執筆者:森安 達也
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