サイパン島の戦闘

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サイパン島の戦闘

日本が統治していたサイパン島は太平洋戦争中、本土防衛の拠点と位置付けられた。1944年6月に米軍上陸を始め、兵力装備で大きく劣る日本軍は島の北部に追い詰められた。部隊全員の死を覚悟した「玉砕戦」が繰り返され、7月に日本軍の組織的戦闘終結。日本兵のうち9割超に上る約4万1千人と、民間邦人8千~1万人が亡くなったと推定される。現地住民も巻き込まれて犠牲になった。島の現在の人口は約5万1千人。(サイパン共同)

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