翻訳|population
一定地域(ある地域,国家,あるいは世界等)に居住する人の数をいう。ある地域の人口集団は,出生,死亡,移動を通じて,その大きさや男女・年齢別構造,そしてまた人口の経済的・社会的構造も絶えず変化していく。出生,死亡,移動の人口現象は,経済,社会,文化,政治の変化の影響を強く受けるとともに,これらの人口現象の結果としての人口構造は社会の将来の発展の基礎条件として影響力をもってくる。しかし,人口変動と社会の発展,存続との間に現在みられるような深い相互関係は,歴史上かつてなかったといってよい。今日の言葉でいえば,人口と開発(経済的・社会的発展)の統合化あるいは調和的発展という問題である。具体的には,人口の増加,大きさ,地域分布,年齢構造といった人口要因とその変化の,人間社会の発展への影響を的確に把握し,経済社会開発計画体系の内部に織り込まれなければならないということである。
人口の増加,その要因である出生率,死亡率,その結果としての人口構造,そしてまた人口の地域分布等において,世界人口は歴史上注目すべき転換期に直面している。
これらのいくつかの人口要因について,とくに第2次大戦後における動向に焦点をおいてその変化を略述し,そして現段階の転換期的特徴について述べる。
世界の人口がようやく安定した増加をみせはじめたのは1650年以降である。西暦1年ころの世界人口は約3億と推計されているが,1650年後の1650年にやっと約5億に増加した。しかし,前850年から1650年に至る2500年間の人口増加率はわずか年率0.07%にすぎなかった。0.07%という年増加率は,人口が倍増するのに1000年かかるといった水準である。今日の世界人口増加率は年率2%から若干低下しはじめているが,年率2%は35年で人口が倍増する。したがって0.07%の場合の約30倍の増加率水準である。
1750年には世界人口は7億,1800年には9億へと増加したが,年増加率は1650年から1800年に至る150年間は0.4%にすぎなかった。1850年には11億,1900年には16億とかなり顕著な増加を示したが,1800年から1900年までの年増加率はなお0.5%の低水準にとどまった。しかし,1900年以降の世界人口は異例的な増加趨勢(すうせい)に転じた。20世紀中ごろには,世界人口は25億に達し,この50年間の年増加率は0.8%に増大した。第2次大戦後においては,1960年に世界人口は30億に,1950-60年の年増加率は1.8%に,そして1960-65年の年増加率は2%にまで増大した。これは20世紀前半の0.8%の2.5倍,19世紀の0.5%の4倍で,異常といってよい倍増傾向が生じた。
世界の人口が10億に達したのは1800年ころである。人類が誕生してから,その数が10億に達するのには非常に長い歴史が必要であった。しかし,20億になったのは1930年ころであるから,10億の増加に要したのは約130年ということになる。さらに30億になったのは1960年であるから,この10億増加には30年しかかかっていない。40億になったのは75年ころであるから,今度は15年しかかかっていないことになる。このような第2次大戦後における幾何級数的な世界人口の増加は,〈人口爆発〉とよばれるにふさわしいものであったといえよう。
人口の大きさや増加率は,地域や国によって著しく異なっている。とくに,注目すべきは,先進諸国と発展途上諸国との間にみられる著しい人口学的ギャップである。1980年についてみると,世界人口44億3200万のうち先進諸国の人口は11億3100万人で世界人口の25%を占めるのに対し,発展途上諸国の人口は33億で75%を占めている。しかも,先進諸国の増加率0.71%に対して,発展途上地域のそれは2.08%と3倍近い高水準にある。先進諸国の人口は小さく,かつ増加率が低いのに対して,発展途上諸国の人口は巨大で,かつ増加率が著しく高いため,将来このギャップは拡大されていくことは確実である。国連推計(1980)によると,20世紀末の世界人口61億2000万人のうち先進諸国は12億7200万人で世界人口の20%,発展途上諸国は48億5000万人で約80%を占めることとなる。1980年から2000年までの20年間に世界人口は16億8700万増加するが,そのうちの91.6%にあたる15億4600万は発展途上諸国において生ずることになる。この場合,発展途上諸国における人口増加抑制の努力とその効果も考慮されている。このような人口学的ギャップの拡大とともにとくに留意すべきことは,発展途上諸国では経済的・社会的開発がおくれており,生活水準が著しく低く,かつ一部産油諸国を除いて天然資源に恵まれていないことである。
先進諸国がその近代化の過程において,それまで経験したことのない異常な人口増加率が,第2次大戦後発展途上国においてもおこった。このような人口増加率,たとえば年率2.5%あるいは3%を超える高水準増加率が発展途上国の近代化を阻害するものであることが,とくに1963年の第1回国連アジア人口会議を契機として広く発展途上国において理解されるに至った。このようにして,人口増加の抑制を目的とした出生制限のための政策,とくに家族計画が広く世界の発展途上国において採択,実行されていった。
人口現象自体の変化とこれについての認識や政策との間には,時間的ギャップがみられる。第2次大戦後から1970年代前半に至るまでの時期においては,前述のように発展途上地域の人口の激増は,世界人口の爆発的増加という地球規模的な問題と発展途上の個々の国における経済的・社会的な問題に対する関心を高めた。しかし,このような人口学的事実と問題認識および政策との間に時間的おくれがあった。世界人口の増加と地球の扶養能力の限界の問題についての認識が公式の場であらわれてきたのはせいぜい1960年代の終りころから70年代においてである。72年の国連人間環境会議においては,人口の増加と人間の生存環境の悪化がとりあげられた。また,同年には,ローマ・クラブの委嘱によるD.L.メドウズの《成長の限界》が発表され,世界人口の増加と高度経済成長の持続がもたらす人類の破局の危機が警告された。次いで,74年は国連の世界人口年として,世界中の国々が人口問題についての関心と対策の緊急性についての国民の認識を高揚するための地球規模的な努力が展開された。そして,同年夏にはルーマニアのブカレストにおいて第3回国連世界人口会議が開催され,人口問題を解決し,経済的・社会的発展をはかるための指針となるべき,〈世界人口行動計画〉が採択された。
他方,人口増加が近代化に及ぼす阻害的影響についての認識もしだいに浸透し,人口増加抑制のための家族計画を中心とした出生力制限政策がとくに1960年代において多くの発展途上諸国において積極的に実行されるに至った。国連ならびに国際機関あるいは先進諸国による発展途上国の家族計画政策援助が強化,拡大されていった。
しかし,このように世界的に拡大,強化されていった発展途上国における出生力抑制政策の効果については,専門家の間においてもきわめて悲観的であった。しかし,発展途上国において断片的ではあるが出生力抑制政策の効果のあらわれはじめていることが1970年代前半から後半にかけて明らかになってきた。ここにも,出生力低下傾向の事実とその認識との間に時間的ギャップがあった。20世紀中における出生力低下の可能性がほとんど否定されていた時期にすでに低下の兆候が進行していた。発展途上地域の人口増加率は,1960年代後半には年平均2.38%のピークに達し,70年代前半には2.32%,そして70年代後半には2.08%へと低下した。
他方,先進地域の人口は,第2次大戦後出生ブームにより一時はかなり高い人口増加率(1950-55年では年平均1.28%)を示していたが,その後低下傾向を持続し,1960年代後半以降は1%の水準を割っている。このような先進地域,発展途上地域の人口増加率低下傾向の結果,世界人口の増加率も1960年代前半の年平均2.0%をピークとして70年代後半には1.72%へと低下した。
第2次大戦後において,地球規模的な課題として国際的に重大な関心事となった世界人口の爆発的増加も,増加率の増大傾向から低下の方向に逆転することによって,新しい次元に直面することとなった。しかし,世界人口の増加の問題がすべて解決されたわけではない。世界人口の規模はすでに大きく,世界人口の大部分を占める発展途上国の人口増加率は今後低下傾向が期待されるとしてもなおその水準は高く,さらに過去の高出生率時代の出生コーホートは将来において相対的に多くの出生数をもたらすといった理由で,世界人口増加の問題は楽観を許さない。国連は,発展途上国における出生力制限,人口増加コントロールの積極的な政策努力を考慮に入れながらも,20世紀末の世界人口を61億2000万,2025年に81億9000万,そして2095年に102億で安定する見込みがあると推計している。
人口現象の新しい変化として,人口増加率の低下傾向への転換について述べてきたが,次に,人口増加率を決定する要因である出生,死亡,移動(および分布)の新しい局面について述べてみよう。
欧米諸国の出生率(人口1000人当りの出生数)は,第2次大戦後多かれ少なかれ出生ブームの影響を受けて比較的高い水準にあった。アメリカ,オーストラリア各23,フランス21のように20以上の水準を示した国もあれば,西ドイツ,東ドイツ,スウェーデン,イギリスのように16前後の水準にとどまった国もある。しかし,いずれの国においても1960年代後半から低下傾向が始まった。そして,70年代には西ドイツや東ドイツのように10前後という史上初めての低水準を示した国もある。とくに,西ドイツでは1975年から79年までの5年間には,9という低い出生率を示した。東ドイツは政府の出生促進政策の影響もあって1978年以降14程度の水準に回復している。他方,スウェーデン,イタリアは最近では11の水準にまで低下してきている。また,アメリカのように,1975年,76年に14.7の最低水準に達したあと15から16に近い水準に反騰の傾向を示している国もある。
日本の出生率は,戦後の出生ブーム(出生率33~34)のあと劇的な低下を示し,17~18の水準に安定していたが,1973年以降再び低下傾向に転じ,82年には12.8という日本の人口動態史上最低の記録を示した。
以上のような先進諸国における出生率の低下傾向と後に述べるような死亡率改善の停滞傾向によって自然増加率は激落した。1981年において,ハンガリー(-0.2‰),デンマーク(-0.6‰),西ドイツ(-1.6‰)の自然増加率はマイナスとなっている。同年において東ドイツ(0.3‰),スウェーデン(0.2‰),オーストリア(0.2‰)の自然増加率はプラスではあるがきわめて低い水準である。
先進諸国の出生率の動向と水準には,かなり著しい差異がみとめられるが,基本的な特徴は歴史上かつてない低水準を達成しているということである。そのような傾向を,より正確に人口の再生産をあらわす合計特殊出生率total fertility rate(1人の女子が生涯に産む平均子ども数),総再生産率gross reproduction rate(1人の女子が生涯に産む平均女児数),純再生産率net reproduction rate(総再生産率から,死亡する女児を差し引いたもの)によって考察してみよう。
女子1人当り(あるいは夫婦当り)の平均出生子ども数をあらわす合計特殊出生率が2である場合は,夫婦2人から子ども2人ということで世代がほぼ維持されることになる。欧米諸国ではごく一部(ユーゴスラビア,ポルトガル,ギリシアなど)を除くと,ほとんどの国では2人以下となっている。このことは,親より少ない子ども数ということで,将来において人口が減少する可能性を示している。しかも,この合計特殊出生率が1.5あるいはそれ以下という歴史上みられたことのない低水準を示している国さえある。すなわちデンマーク1.43(1982),オランダ1.49(1982)であり,西ドイツは1975年以降1.4,そして78年,79年には1.38にまで低下し,81年には1.44まで回復した。スウェーデン1.62(1982),フィンランド1.64(1979),オーストリア1.70(1982),ノルウェー1.71(1982),カナダ1.72(1979),日本1.77(1982)の水準にある。イギリス1.87(1981),アメリカ1.8(1978),フランス1.9(1982)は若干高くなっている。
総再生産率,純再生産率も前述の合計特殊出生率でみたと同様な傾向が先進諸国にみられる。たとえば,総再生産率では西ドイツ0.67(1978),スウェーデン0.81(1979),イギリス0.85(1978),アメリカ0.88(1978)等であって,1人の女子が産む平均女児数が1人に達しない状態にある。純再生産率についてみると,やはり西ドイツが最低で0.65(1978),スウェーデン0.80(1979),イギリス0.83(1978),アメリカ0.86(1978)となっており,将来における著しい人口減少の可能性をもった人口再生産の状態をあらわしている。なお,日本人口の総再生産率および純再生産率はそれぞれ0.86,0.85(いずれも1982)となっている。
欧米諸国や日本等の先進諸国では,そのほとんどの国において,夫婦は平均して子ども2人を産まない。そして1人の女子が産む平均女児数は1人に満たない。たとえば,西ドイツでは0.65人の女児しか産まないということは,この状態が続けば,1世代後には西ドイツの人口は現在の65%にまで減少する可能性があることを示唆している。このような出生力の異常な低下は歴史上初めてのことであって,先進文明諸国はまったく新しい課題に直面するに至った。出生力の今後の動向は,学問的に重大な研究対象となっているだけではなく,各国政府の深刻な関心の対象となっており,政府の介入による出生力の増大政策が検討され,一部の国においてはすでに出産を促進する施策さえとられている。
他方,とくに1960年代から積極的な出生力抑制政策が採用されてきた多くの発展途上国では,すでにふれたように,専門家の悲観的予測に反して,出生率低下の兆候が明らかになった。もちろん,すべての発展途上国において,出生率の低下が一様に始まったわけではない。新興工業諸国とよばれる国での出生力低下はめざましい。たとえば,シンガポール,香港では20以下(1975-80年の年平均)の先進国なみの低水準に,また韓国や台湾では1980年には25以下の水準に低下している。ASEAN諸国でも明らかに出生率低下の傾向が始まっている。シンガポールは別として,1975-80年の年平均でみるとインドネシアでは34,タイでは32,マレーシア29.5(1979)とめざましい低下を示している。これらのインドネシア,タイ,マレーシアの出生率はこの約10年間にそれぞれ40以上の水準から20%以上の低下率を示している。わずかにフィリピンでは,41から36へと,その低下率は11%にすぎない。スリランカはすでに30の水準を割って28にまで顕著な低下を示している。しかし,バングラデシュはなお47,パキスタンは43といずれも40以上あるいは50に近い超高水準の出生率を示している。40以上の高水準出生率を維持していたインドでも今日では35へと注目すべき低下傾向を示している。
また,東アジアでは中国の最近における出生率低下も特筆すべきであろう。1950年代,60年代において35~40の高水準出生率を示していたが,69年以降めざましい低下を示した。69年の出生率34.3が10年後の79年には17.9へとほとんど半分にまで激落した。この中国の経験にきわめて類似した出生率激落が,約20年前日本において生じている。日本では1947年の出生率34.5から10年後の57年に17.3へと半減した。
また,アフリカでは今日なお40から50といった著しく高い出生率水準が維持されている。しかし,ラテン・アメリカにおいては多くの国で30代の水準にまで低下傾向をみせてきている。このように,発展途上国における出生率水準は著しい多様化の傾向を示してきたが,これはいわゆる人口転換の世界的過程が始まっていることと,国によって転換の開始時期,速度が著しく異なっていることを示す。
世界の出生率を国別にみると,10から50といった広い範囲に分散している。一方では,人口の減少不安があり,他方では爆発的増加という二つの矛盾した危機をもたらしている。出生力論は,理論的にも,政策論的にも,まったく新しい次元の問題となってきた。
死亡現象に対する著しい関心の増大は,1980年代の注目すべき特徴の一つである。それにはいくつかの理由がある。
第1の理由は,1970年代における死亡率改善の鈍化傾向である。先進諸国の死亡率(人口1000人当りの死亡数)は,人口高齢化の影響を受けて,1950年代の10前後の水準が今日まで持続している。成人病に対する治療医学のめざましい進歩にもかかわらず,老年人口増加が著しいため,死亡率はかえって漸増の傾向さえ示している(1965-70年の9.1に対し,1970-75年は9.2,1975-80年は9.4)。
他方,発展途上国の普通死亡率は,第2次大戦後において,死因の大きな部分を占めていた伝染病(とくにマラリア)撲滅対策の実行によってめざましい改善をみせた。しかし,死亡率がさらに顕著な改善を達成するためには,保健医療サービス,医療施設やそれに必要な人員の拡充のみならず,栄養水準や教育の普及,向上までが必要となってくる。しかし,このことは決して容易なことではない。たとえば,乳児死亡率(出生数1000人に対する出生後1年未満死亡の乳児死亡数の割合)は1960年代においてかなりの改善がみられたが(1960-65年の130.4から1965-70年の117.5へと約10%の低下),1970年代においては改善は鈍化している(1970-75年の106.4から1975-80年の100.4へと5.6%の低下)。先進諸国における乳児死亡率も,1970-75年の21.5から1975-80年の19.3へと,それ以前の時期に比較すると低下傾向は著しく鈍化している。
この時期における死亡率に対する新しい関心は,人間能力,人間資源といった人口の質的側面に関連した考慮によるものである点に特別の意義をもっているといえよう。
第2の理由は,出生率との関係という人口学的背景である。高死亡率,とくに高い乳児死亡率や幼児死亡率は,高出生率の原因でもあり,また結果でもある。乳幼児死亡率が高い場合には,望ましい後継者数を確保するためには多産であることが必要となり,また反対に多産である場合には,適切にして十分な乳幼児保育は困難となり,その死亡率は高くなりやすい。歴史的にみても,乳幼児死亡率の低下がまずおきて,それから若干の時間的遅れをもって出生率の低下がおきている傾向のあることが立証されている。多くの発展途上国においては,乳児死亡率はなお著しく高い。出生率低下を促進する一つの有力な要因としての乳児死亡率の改善の必要性が認識されるに至った。
第3の理由は,死亡率の人口構造への影響である。死亡率の変化は,年齢別分布や男女別構造,労働力人口に影響を及ぼす。今日,先進諸国において,先進国病の一つの要因とされる人口高齢化という年齢構造変動は,主として出生率の低下によるものであった。しかし,最近においてとくに日本やアメリカにおいて高齢人口の死亡率の改善とその人口高齢化への影響が注目されるに至った。もっとも,発展途上国においては,一般に,人口は著しく若い。65歳以上人口の総人口に占める割合は,先進諸国の11.3%に対して,発展途上国のそれはなお4.0%にすぎない(1980)。発展途上国では,出生率の低下が始まったといえ,人口高齢化への影響は小さく,他方乳幼児死亡率の改善は0~14歳の子ども人口の比重を高めることとなり,高齢人口比率の増大を抑制している。死亡の状態を最も正確に表現する出生別平均余命(いわゆる平均寿命)によって概観してみよう。国連の推計によると,世界人口全体としての平均寿命は,1950-55年の47.0年から1975-80年の57.5年まで10年以上寿命が延びている。しかし,ここで重要なことは,発展途上国と先進諸国との間の平均寿命の著しい開きである。先進諸国の平均寿命が71.90年にも達しているのに対して,発展途上国では55.15年にすぎない。エチオピアの平均寿命は39.05年で40年にも達しないのに対して,アイスランドでは76.2年にも達している(いずれも1975-80)。82年の日本人の平均寿命は76.94年でほぼ世界一の長寿国に達した。
発展途上国における平均寿命がこのように短くなっている重要な要因の一つは,乳児死亡率が著しく高いことである。1950年から80年までの30年間に,先進諸国の乳児死亡率は,出生数1000人当り56人から19人まで減少している。発展途上地域でも,同じ期間に164.2から100.4へと低下している。著しい低下ではあるが,その水準はなお高く,先進諸国の5倍以上である。アフリカにはなお150以上といった高い乳児死亡率の国も少なくない。アジアにおいても,1975-80年の数字をみるとインド,パキスタン,バングラデシュでは130前後と高い。ネパールでは150,アフガニスタンで200という異例的に高い乳児死亡率がみられる。なお,日本の1982年の乳児死亡率は6.6と著しく低く,スウェーデンと並んで世界最低水準にある。発展途上国の乳児死亡率が100であるとすると発展途上国の年間出生数約1億の10%にあたるから,年間1000万人の乳児が死亡していることになる。
発展途上国における乳児や幼児の死亡率が,なお高い水準にあり,他方,出生率の低下傾向が著しかったため,人口増加率は低下してきた。しかし,乳幼児の死亡率のこれからの改善の可能性も十分にあり,近い将来において顕著な改善が実現されてくると,人口増加率は一時的に増大することも予想される。しかし,乳幼児死亡率の改善は,出生率低下への道を開く契機ともなる。また,医療水準の向上,公衆衛生活動の強化によって疾病率の低下,死亡率の改善が行われてくると,健康水準も向上し,労働生産性の増大に貢献することが期待される。このように,死亡秩序への関心は,今までの単なる保健,疾病対策から,総合的な開発を基調とする人間資源開発を目指した新しい次元へと展開してきたといえよう。
世界人口の都市化の傾向は,近年ますますはげしくなってきた。世界の都市人口は,現在,年平均約3%の割合で増加し,世界人口の年増加率1.7%よりもはるかに高い。発展途上地域における都市人口の増加率はさらにはげしく年率4%を超えている。
この人口都市化の過程における重要な課題は,とくに発展途上国における大都市への人口の集中的移動による人口激増の傾向である。1950年において,発展途上国における人口500万人を超える都市は中国の上海市だけであった。しかし,2000年には,500万人以上の人口をもつ大都市は世界で45都市にも達し,その大部分はアジアに集中することが予測されている。
大量の人口移動が,地方,農村から大都市に向かって持続して行われると,受入地の大都市では生活環境の悪化,公害問題,青少年非行の増大,スラムの形成等の過密の弊害が発生する。また,大量の労働力を喪失した地方では生活基盤の弱体化,生活水準の低下,地域共同体機能の低下等の過疎の弊害が発生する。戦後日本においては,1960年代から70年代にかけて,人口過密地域と人口過疎地域の発生により,深刻な経済的・社会的問題を経験してきた。発展途上地域においては,とくに限られた大都市あるいは一つの大都市に人口が集中する傾向が強く,大都市の生活環境や社会環境を悪化せしめている。
人口の国内における地域分布の不均衡化,それを激化せしめた人口移動に対する関心は,先進地域,発展途上地域のいずれにおいても著しく高まってきた。国連が1978年7月に行った第4回人口アンケートによると,発展途上国116ヵ国のうち53ヵ国は,現在の出生率水準に満足していると答えているが,人口の地域分布について満足している国はわずか6ヵ国であった。アジア・太平洋地域の30ヵ国についてみても,人口の国内地域分布についてなんらの問題もなく,政策の必要性をみとめていない国はシンガポールとナウルの2ヵ国にすぎない。30ヵ国のうち半分の15ヵ国は,現在の国内地域人口分布は著しく不均衡であり,なんらかの思い切った政策が必要であると答えている。
大都市への人口の集中的移動を緩和し,過度の人口集積を是正するための直接,間接の施策が慎重に検討され,また実行に移されつつある。人口流出の著しい農村における雇用機会の創出による流出の抑制,あるいは中小都市の整備による人口吸収能力の拡大,さらにまた大都市成長の規制といった人口の再分布を促進するための政策が多くの国において考慮され,あるいは実行されている。
国際人口移動の領域においても,いくたの深刻な問題が発生している。戦後の経済発展期において,発展途上国からヨーロッパへ移住した大量の移民は,世界的不況にともなって,失業者となり,受入国,送出国のいずれにとっても重大な経済的・社会的問題となっている。1970年代においては,中東産油国への大量の石油産業関係労務者の移動が行われたが,最近における石油事情悪化のため,失業,帰国といった苦境に追いこまれている。さらに,メキシコからアメリカに流入する非合法移民あるいはまた難民といった特殊な〈移民〉の問題がある。とくに,国際難民とよばれる特殊な国際移民は,1981年の初めに1400万人に達したと推計され,深刻な国際問題となっている。81年の国連総会において,〈新国際人道秩序〉の確立の必要性が採択されている。国際移民にはいろいろな形態がみられるが,一般的にいって,その多くは発展途上地域から先進地域への移動であるが,それが両地域の経済,社会,政治,文化に及ぼす影響は重大である。国内の人口移動であれ,国際間の人口移動であれ,それは貴重な人間資源の再分布であって,経済的・社会的開発と重要な関係にあることを銘記すべきであろう。
先進諸国における人口高齢化はすでに著しいが,発展途上国では一般に,出生率がなお著しく高いため人口の年齢構造は若い。65歳以上人口の総人口に占める割合は,先進国全体としては11.3%と著しく高いのに対し,発展途上地域全体では4.0%にすぎない。
この65歳以上人口比率を4%未満,4~6%,7%以上に区分してみると,最も若い人口である4%未満の国は89ヵ国,4~6%の成熟化の過程にある国は23ヵ国,7%以上の高齢化水準の国は37ヵ国となっている(1980)。さらに,とくに先進国の大部分が含まれる10%以上の高齢化国は27ヵ国となる(数字はすべて1980)。
ここで,とくに重要なことは,(1)発展途上地域の人口の高齢化はきわめて低水準ではあるが,65歳以上人口はすでに1億5200万人に達しており,先進国の1億3000万人よりも2000万人以上多いこと,(2)発展途上地域における出生率低下は始まっており,将来において人口高齢化は確実に進行することが予想されること,国連推計によると2000年における65歳以上人口比率は4.89%,そして実数では2億3700万人で現在よりも8500万人も多くなること,(3)先進諸国でも,人口高齢化はさらに進行し,1980年の11.1%が13.1%へと増大し,15%以上の高水準に達する国も少なくなく,さらに,2025年には16.7%の高水準に達し,スイス,フィンランド,イタリア,ルクセンブルクなどでは20%を超えることが予測されていることである。先進国の一員としての日本の人口高齢化には,著しい特徴がみられる。今日なお,65歳以上人口比率は9.1%(1980)で先進諸国のなかでは最も低いが,20世紀末には15~16%に達し,21世紀の初めの10年代には22~23%の異例的な高水準となり,そのころの欧米の最高水準を上回ることさえ予想される。
このようにして,世界はその歴史においてかつて経験したことのない人口高齢化時代を迎えることになる。人口増加率を抑制することの経済的・社会的必要性と,そのための出生力抑制の成功の結果として不可避的な人口高齢化は,人間社会の近代化過程のジレンマである。人口増加抑制が人類の生存を確保するために不可欠であるとすれば,必然的な結果である人口高齢化に対しては,適切な施策によって対処していく以外に方法はない。しかし,その場合,人口の高齢化に表現される年齢構造の未経験の大変化は,社会変化や経済の構造的変化を不可避とするような性質のものであることにとくに留意することが必要である。1982年に,国連が〈世界高齢化問題会議World Assembly on Aging〉を開催したのも,以上のような高齢化の重大な社会的・経済的・政治的影響に着目したことによるものである。
→人口調査 →人口統計
執筆者:黒田 俊夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
きわめて一般的に人口を定義すれば、人口とは人間の集団であるが、普通われわれが人口を論じるときには一国の人口、ある地域の人口というように、特定の行政区域内にいる人間の集団について考える。人口の大きさと構造は、その成員である個人が結婚、出産、死亡、あるいは移動といった動きをすることによって影響を受け、変化する。しかし他方、人口はそれ自体が経済社会に対する与件となって少なからぬ影響を及ぼす。そして、それがさらに人口の成員である個人の行動を左右するという関係にある。たとえば、人口規模が拡大し、国土や資源に対して過大になると、国民生活は苦しくなり、結婚や出産が抑制され、あるいは死亡が増加するであろう。要するに、人口とその成員である個人は相互に関係しあっている。この関係を明らかにすることは人口論の一つの重要な課題である。
このような一般的な問題のほかに、最近は具体的な人口問題が日本の国内において、また世界全体について、人々の大きな関心事になっている。日本の国内においては、人口高齢化とこれに伴って生じる高齢化社会の諸問題がある。わが国では、第二次世界大戦前、過剰人口問題という大きな問題を抱えていたが、戦後の高度成長によってこれを解決することができた。しかし最近は、出生率、死亡率の低下によって生じた人口高齢化が国民生活に大きな影響を及ぼそうとしている。同時に国外では、開発途上国における人口爆発とこれによる開発の停滞があり、その問題の解決は20世紀末から21世紀にかけての人類最大の課題であるといわれている。しかも世界の人口問題は、先進国にとってもけっして無関心ではいられない重要な問題である。
[岡崎陽一]
厳密な意味での人口理論とは何かという問いに答えることは困難であるが、ここでは広い意味での人口に関する考察とその結果を含めて、これまでに出された人口理論を概観する。
まず古代に地中海の東方地域に現れた人口理論は、宗教的立場にたって人口増加を歓迎した。独身は嫌われ、大家族が祝福された。息子を産み残さなかった者は、死後に祈りと供物と愛情を捧(ささ)げられることなく、寂しく哀れむべき魂となるであろうと信じられていた。この時代には政治的・軍事的立場からみても人口増加が歓迎された。王や支配者は人口の大きさは権力の象徴であると考え、また多くの兵士を得るためにも多数の人口が必要であった。そのために出生増強策がとられた。有名なハムラビ法典にも、人口の維持と増強を目的とした条文がみられる。また、子だくさんは男性の精力が旺盛(おうせい)な証拠と考えられ、大家族をもつことは自尊心と威信を満足させるものであった。なお農業社会では子供は生産力として役だったことも、人口増加が喜ばれた一つの理由であった。
次に、ギリシアの哲学者の人口理論は都市国家の人口についての理論であるが、そこでは人口過剰がおこることが心配され、出生制限の必要が論じられた。プラトンは、理想国の家族数は5040が限度であると述べている。彼は人口の量を論じただけではなく、人口の質についても論じている。子供を産むことが許されたのは選ばれた優秀な市民だけであり、その子供は公共の施設で養育された。アリストテレスも人口数は適度に制限されるべきだと考えたが、その理由の一つとして、住民が多くなりすぎると支配者と市民の間の意志の疎通が妨げられることをあげている。
ローマ人は都市同盟の盟主としてイタリアを統一し、さらに海外に領土を広めた。それゆえローマ人の人口理論は人口増強論であり、彼らは、規模の大きい、しかも増加を続ける人口が望ましいと考えた。ローマの支配者は概して結婚と出産を奨励した。
中世を支配した人口理論は完全にキリスト教的なものであり、『旧約聖書』の「産めよ、殖えよ、地に満ちよ」という考えと、殺児・中絶の罪悪視を支柱とするものであった。それが人口増加を結果するものであったことはいうまでもない。このように、古代から中世に至るまで、ギリシアの適度人口論を除いて、人口増強論が支配的であった。
この傾向は16世紀にヨーロッパに国民国家が成立すると一段と強められる。その理論は重商主義であったが、それはまた、大規模な、増加する人口は国力の源泉であると考えていた。重商主義は約2世紀にわたりヨーロッパを支配したが、18世紀末になると国家の利益よりも個人の福祉を重視する思想が台頭してきた。マルサスが有名な『人口論』(1798)を書くきっかけになったゴドウィンおよびコンドルセの思想もその一つである。ゴドウィンは、人間社会の不幸はもっぱら社会制度の欠陥に原因があると論じた。たとえば、国民所得の配分を平等にすることができれば貧困は解消すると考えた。
マルサスの『人口論』はこの考え方に対する反論として書かれたもので、人々の生活を改善しようとする努力を妨げるものは社会制度のなかに求められるべきではなく、人口と生活資料のバランスを崩す一種の自然法則のなかに求められるべきであると主張した。ここに自然法則といわれているものは、人口は制限されることがなければ、与えられた生活資料が許容する大きさまで増加する傾向がある、あるいはそれ以上に増加する傾向がある、という法則である。マルサスはそれを例示するものとしてアメリカでの経験を引用している。すなわち、人口は25年間に2倍ずつ幾何級数的に増加するが、食糧は25年間に算術級数的にしか増加しないというのである。マルサスの『人口論』は自然法則的な単純明快な論旨により、しかも戦争、悪疫、飢餓による人口制限を必然的とみる悲観的な結論になっているため、大きな反響をよび、多くの批判を受けた。ただマルサスは、『人口論』の版を重ねるにつれて道徳的抑制の役割を認め、初版よりは柔らかな論調に改めていった。マルサスが認めた道徳的抑制はもっぱら晩婚による出生抑制であり、産児制限による出生抑制を念頭に置いていなかった。しかしマルサス以後に実際に人口抑制に著しい効果をあげたのは産児制限であった。産児制限論者は、通常、新マルサス主義者といわれている。
マルサス批判は諸方面から出されたが、その一つにマルクスの批判がある。マルクスは、労働者の貧困の原因は資本家による搾取、資本の有機的構成の高度化による相対的過剰人口にあるとし、その問題の解決は人口の抑制にではなく、社会主義社会の実現に求められなければならないと主張した。貧困の問題を中心とする人口問題の解決策についてのマルサスとマルクスの見解の相違は、現在でも、開発途上国の人口問題をめぐる議論のなかにみいだすことができる。マルサス的な論者は人口抑制の重要性を強調するが、これに対して経済開発の重要性を主張する論者が対立している。
[岡崎陽一]
人口は一種の有機体であるから、絶えず変動している。そのような人口の実態をとらえるのに二つの方法がある。一つは、スナップ写真のように、ある一瞬間の人口の姿をとらえる方法であり、もう一つは、ある期間における人口の変化をとらえ、また変化をもたらす諸要因(出生、死亡、移動など)を調べる方法である。
前者すなわち人口の静態を調べるためのもっとも大掛りな調査は国勢調査である。日本では1920年(大正9)に第1回の国勢調査が行われ、戦争中を除いて、5年に1回の間隔で実施されている。日本の国勢調査は、毎回10月1日午前0時現在の人口を調べることになっている。国勢調査は悉皆(しっかい)調査であり、各人の性、年齢、配偶関係、就業状態などの属性を調査する。したがって、それを集計すると、全国人口の大きさ、その属性別にみた構造がわかり、さらに都道府県別、また市区町村別の人口の大きさ、構造をも知ることができる。
人口の構造のなかでとくに重要なものは男女年齢別構造であり、これを人口学的基本構造という。それを一括して表すのに人口ピラミッドが描かれることがある。日本の人口ピラミッドは、第二次世界大戦前はきれいな富士山型であったが、戦後はしだいに釣鐘型に変わってきている。これはヨーロッパの先進国と同様の形であり、人口高齢化の現象を示す。
年齢別構造は、年少人口(15歳未満)、生産年齢人口(15~64歳)、老年人口(65歳以上)の3区分で表すこともある。人口の産業別構造も重要である。産業を第一次、第二次、第三次産業に分けると、戦前(1930)は50%、20%、30%という割合であったが、2000年(平成12)は5%、29.5%、64.3%、2020年(令和2)は3.2%、24.6%、71.7%というように、第一次産業の割合が著しく減っている。
[岡崎陽一]
人口を変動させる直接の要因として、出生、死亡、移動の三つがある。出生は人口を増加させる要因であり、死亡はそれを減少させる要因である。移動は、地域によって流入超過の場合と流出超過の場合がある。これら三つは広義の人口動態要因であるが、わが国で人口動態統計といわれているのは、出生、死亡、婚姻、離婚、死産の五つに関する統計であり、これらは人口動態登録の届け出をもとにして作成されている。
出生と死亡の変化については、「人口転換」demographic transitionといわれている経験法則がある。それは、経済社会の近代的発展につれて、まず死亡率が低下を始める、それより数十年遅れて出生率が低下し、やがて出生率、死亡率がともに低い水準に落ち着いていくという経過のことである。わが国の第二次世界大戦前から現在までの経過もほぼ先進諸国の場合と同様で、人口転換の型にはまった動きを示している。
死亡率の低下が先行するのは、各国とも近代化の目標として衛生行政に力を入れることや、生活水準が上昇して健康状態が改善されることが原因である。これに対して、出生率は伝統的な社会慣行や国によっては宗教などの影響で低下が遅れるのが普通である。ただ、近代化とともに産業構造が変化し、都市化が進むと、しだいに人々の意識が変わり、出生率も低下を始める。出生率が従来どおりの高さにとどまっている間に死亡率が低下する段階では、人口増加率はしだいに上昇する。どの国でも近代化のなかで相当な人口の増加をみたのはそのためである。しかし、出生率、死亡率がともに低水準になった段階では、どの先進諸国も人口増加はきわめて低く、年率1%以下になる。
他方、開発途上国は現在人口増加の時期にあたっている。それだけではなく、これらの国々ではもともと出生率が高かったうえに、第二次世界大戦後、DDTなどの薬剤が外国から持ち込まれ死亡率が急低下したので、人口増加はとくに激しくなった。年平均増加率が2.5%から3%になり、このような爆発的人口増加が経済社会開発の大きい障害になっている。
[岡崎陽一]
人口の移動は地域移動と社会移動の二つに分けることができる。人口問題としてはどちらも重要であり、また相互に関係しているが、データの関係上、地域移動のほうがより多く取り扱われている。
地域移動はさらに国内移動と国際移動に分けることができる。国内移動もいろいろな種類に分けることができる。たとえば、わが国の例では、府県間移動(長距離移動)と府県内の市町村間移動(短距離移動)である。そのほか、24時間周期でおこる通勤・通学のための振り子移動といわれるものもある。どの国でもみられたもっとも典型的な移動は、農村から都市への移動である。この種の移動は近代以前にもみられたが、近代における工業化とともに一段と激しくなった。これは、工業地域における労働需要の増加によるいわゆる「吸引型」の移動である。わが国でも昭和30年代以降の高度成長期に多数の人口が都市に移動した。しかし、最近はどの国でも移動が多様化している。農村から都市への移動のほかに、都市間移動や都市から農村への移動、また農村間移動といったものも増えてきている。
移動の原因についても、かつては就業機会を求めての移動とか、賃金または所得の高い地域を希望しての移動が多かったが、生活の向上と多様化のなかで、別の理由による移動が増えている。高齢化社会においては、親世代と子世代の同居のための移動が増加するであろう。
国際人口移動は、かつてヨーロッパからアメリカへの移動が大きな流れであったが、第一次世界大戦まででその歴史は終わった。第二次世界大戦後、物的にも人的にも国際交流は増大したが、大規模な国際人口移動はおこらなかった。ただ、戦後の経済的繁栄のなかでヨーロッパ先進諸国が労働力不足となり、南ヨーロッパ地域から外国人労働者を受け入れたことがある。また中近東石油産出国で経済的ブームがおこり、アジア地域を含む各地から多数の外国人労働者が流入した。また、その性質上正確な数字はつかめないが、かなりの数の不法移民がアメリカなどには存在するといわれている。
[岡崎陽一]
国連人口基金の『世界人口白書』(2022年)では、世界の総人口は約79億5400万人とされる。人口が1億人を超える国は14か国となっている。(1)中国14億4850万人、(2)インド14億0660万人、(3)アメリカ3億3480万人、(4)インドネシア2億7910万人、(5)パキスタン2億2950万人、(6)ナイジェリア2億1670万人、(7)ブラジル2億1540万人、(8)バングラデシュ1億6790万人、(9)ロシア1億4580万人、(10)メキシコ1億3160万人、(11)日本1億2560万人、(12)エチオピア1億2080万人、(13)フィリピン1億1250万人、(14)エジプト1億0620万人。
『世界人口推計』(2022年改訂版)によると、世界の人口は1986年に50億人、2022年11月に80億人に達すると推定されている(国連経済社会局人口部)。1950年には約25億人であったから、第二次世界大戦後約35年の間に2倍、70年余りの間に3.2倍ほどに増大することになる。世界人口が70億人から80億人になる増加数の半分以上が、アジア、アフリカの10か国によるものと推定され、インド、中国、ナイジェリアが上位3か国になる。
世界の人口が90億人に達するのは2037年で、およそ14年半かかると予測されている。さらに2080年には約104億人となり、世界人口はピークに達し、2100年まではその水準が維持されると考えられる。世界人口はずっと増加傾向を続けているが、増加率は2020年に1%を下回っており(0.98%)、2022年には0.83%とさらに低下した。これには、世界的な平均余命の延長や少子高齢化、新型コロナウイルス(COVID(コビッド)-19)感染症の影響がみられると考えられる。近年では、人口が減少する国が増えており、人口最多の中国も増加率が下がり、2023年には人口数でインドに抜かれると予測されている。
日本は世界11位だが人口減少傾向で、前年の2021年より50万人減少している。国立社会保障・人口問題研究所の『日本の将来人口推計』(平成29年推計)によると、人口減少は続くが前回(平成24年)の推計に比べて減少速度や高齢化の進行は緩やかになり、人口が1億人になる予測は2048年から2053年に延長され、2065年の老年人口割合は40.4%から38.4%に修正されている。
[編集部 2022年8月18日]
人口問題は時代とともに、また各国が置かれた状況とともに変化する。現代は、世界的視野にたってみた場合にも、また日本について考えた場合にも、大きい、そして深刻な人口問題に当面しているということができる。人口問題の発生は、当然、人口政策の策定と実施を要請する。しかし、人口政策も経済社会が高度に発達した現代では、高度な施策を必要とする場合が多く、その効果をあげるのは容易ではない。ここではまず世界の人口問題について述べ、ついで日本の人口問題について説明する。
[岡崎陽一]
すでに述べたように、世界の人口は約80億人に達し、増加率の低下が予想されるものの、人口は今後さらに増加する見込みである。1995~2000年の増加率は全体で1.36%、先進国で0.30%、開発途上国で1.63%であり、世界人口の増加のおもな原因は開発途上国の人口増加にあることは明らかである。
開発途上国の人口増加は、経済社会開発の大きな障害となっているという点で問題である。第二次世界大戦後、旧植民地の多くが独立し、経済社会開発に大きな努力を傾けているが、いろいろな障害があって、なかなか所期の成果をあげることができない。その障害の一つは人口増加である。現在先進国といわれている国も、近代以前には出生率、死亡率が高く、したがって人口増加率が低かった。経済社会の発展とともに「人口転換」が始まり、人口増加率が徐々に高まった。このように経済社会開発と人口増加が車の両輪のように働く場合には、人口増加は、障害どころか、むしろ開発を促進する要因となる。しかし、現在の開発途上国の場合はそれとは事情がまったく異なっている。
もともと出生率が高かったうえに、死亡率が急低下したために、開発計画の初期段階において年率2%から3%という激しい人口増加がおこった。増加する人口を養うために、せっかくの開発の成果が食いつぶされ、生産力を高めるための投資不足に陥り、また貴重な外貨を生活のために費やさざるをえなくなった。それゆえ、開発途上国の重要な問題として人口増加を抑制するという問題があり、そのためにどのような方策が有効かという問題が登場してきたのである。
先進国において出生率が低下したのは、開発が進むとともに国民の意識のなかに自然に子供数を減らそうという気持ちが強まってきたためであったが、開発途上国の場合は、そのような意識が十分に生まれる前に、政策的に出生を抑制しなければならないということであり、前例のないむずかしい問題であるといえる。
インド政府は、どの国よりも早く1952年に国家的な家族計画運動を始め、人口についての教育、宣伝、家族計画を指導する診療所の開設、避妊器具の配布などに努めたが、いろいろな理由で容易に成果をあげることはできなかった。しだいにその他の国でも家族計画運動が実施されるようになり、現在では開発途上国の大部分の国が、方法はさまざまであるが、人口問題の解決のために努力している。なかでも世界の注目を浴びたのは、中国の「一人っ子政策」であり、従来、子供は2人までというのが普通であったのに対して、夫婦の子供数を1人にするよう強力な施策が長年とられた。経済大国に成長した中国は、2016年にこの政策を緩和したが、少子化は社会に浸透しており、そのため、今後の高齢化や生産年齢人口の不足に伴う経済の停滞が懸念されている。
国際連合などの国際機関は世界の人口問題に多大の関心を寄せ、資金面、技術協力面で幅広い援助活動をしている。1974年にはブカレストで、1984年にはメキシコ・シティで、1994年にはカイロで国連主催の世界的な人口会議が開催され、世界各国の代表者が一堂に会して、人口問題について討議し、その解決策について話し合った。
[岡崎陽一・編集部]
先進国は、途上国とは性格の違った人口問題を抱えている。その主要なものは出生率低下の問題である。欧米先進諸国は、1930年代に著しく低い出生率を経験した。当時の出生率水準は、死亡率が高かったこともあって、親世代と同数の子世代の人口を産み残すことができないほどであった。その原因についてはいろいろ論じられているが、ともかく西欧の没落と関連して論じられるほどの大問題であった。しかし、1940年代に入ると、戦時下の人口政策の影響もあって出生率はしだいに上昇した。そして第二次世界大戦後は一時的なベビーブームだけではなく、1960年代中ごろまで長期間にわたり、戦前には予想されなかったほどの高い出生率がみられるようになった。ところが、その後ふたたび欧米先進諸国の出生率は一斉に低下を始め、1970年代に入るとますます低水準になり、1930年代と同様に人口の置換水準を下回るようになった。その結果、いくつかの国では人口増加が止まり、あるいは人口減少がみられるほどになった。
今回の出生率低下についてもまた、その原因については諸説があるが、多くの政府がその対策として力を入れているのは、出産手当、児童手当、住宅手当など家計収支のうえで子供を養育する費用の負担を軽減するための施策と、働く母親が増えていることに関連して、産前・産後の休暇、保育施設などを充実して就労と育児の競合を柔らげる施策がおもなものである。経口避妊薬(ピル)、IUD(子宮内避妊器具)、人工妊娠中絶などは最近先進国の出生率を下げている一つの原因であるが、多くの国で、これらの出生抑制手段は、女性の人権、母体の保護といった立場からむしろ普及を推進する方向にある。
日本も先進国の一員であるが、日本の人口問題は第二次世界大戦前と戦後で大きな変化があった。戦前はいわゆる過剰人口問題が中心であったが、戦後経済が順調に発展したなかでその問題は解決され、むしろ高度成長期には労働力不足、過密・過疎、環境問題といった諸問題が新しく登場してきた。これらの問題は、高度に発達した経済社会に特有の人口問題であり、単に人口の側における対策だけではなく、それをも含めた幅広い対策がとられている。労働力不足に対しては合理化による生産性の向上、過密・過疎問題に対しては全国総合開発計画、環境問題に対しては公害の規制などがそれである。しかし、1970年代中ごろからわが国では人口高齢化の問題が大きく取り上げられるようになった。戦前から1955年(昭和30)ごろまでわが国の人口の年齢構成はほとんど変化していなかったが、1970年国勢調査において、総人口のなかで65歳以上の高齢者の割合が7.1%となったことが明らかにされた。そのころから高齢者の増加の問題が徐々に人々の関心の的になり始めた。さらに1970年代中ごろから出生率低下が続き、人口再生産水準を下回る状態になり、いわゆる少子化の問題が深刻になった。そのため人口高齢化も一段と厳しくなることが予測されている。
人口高齢化とそれに伴って生じる高齢化社会の諸問題がにわかに大きく取り上げられるようになった理由は、いうまでもなく、人口高齢化が本格的に進み始めたことにあるが、それと同時に、日本経済の成長に陰りが生じたことがもう一つの理由である。それ以前は、高度成長の成果を踏まえて、わが国を福祉国家として安定させるための諸施策が準備されつつあった。国民皆保険・皆年金の制度の発足はその一つであった。
しかし、増大する高齢者を福祉国家が社会的に扶養していくためには、経済的基盤の確保が必要である。低成長への転換とともに経済的基盤についての不安が生まれたことは、高齢者問題を見直すことを要求した大きい原因であった。事情は日本以外の先進諸国にとっても同様である。現在、先進諸国が当面している人口問題は単なる高齢化問題ではなく、極端な少子化をベースにした高齢化の問題である点に特徴がある。増加する高齢者の生活を保障するための諸施策だけではなく、少子化の進行を食い止めるための施策を進めるというもう一つの大きい課題に当面している。したがって福祉国家の諸施策のなかで子育て支援のための家族政策family policyを強化することが必要である。
[岡崎陽一]
『南亮三郎他編『人口大事典』(1957・平凡社)』▽『阿藤誠編『先進諸国の人口問題――少子化と家族政策』(1996・東京大学出版会)』▽『岡崎陽一著『現代人口政策論』(1997・古今書院)』▽『阿藤誠著『現代人口学――少子高齢社会の基礎知識』(2000・日本評論社)』▽『速水融編『歴史人口学と家族史』(2003・藤原書店)』▽『松谷明彦著『「人口減少経済」の新しい公式――「縮む世界」の発想とシステム』(2004・日本経済新聞社)』▽『河野稠果・大淵寛編『人口と文明のゆくえ』(2004・原書房)』▽『大淵寛・高橋重郷編著『少子化の人口学』(2004・原書房)』▽『国際連合経済社会情報・政策分析局編、阿藤誠監訳『国際連合・世界人口予測 1950→2050』2冊・2002年改訂版(2005・原書房)』▽『大淵寛・兼清弘之編著『少子化の社会経済学』(2005・原書房)』▽『大淵寛・阿藤誠編著『少子化の政策学』』▽『吉田良生・河野稠果編著『国際人口移動の新時代』(2006・原書房)』▽『大淵寛・森岡仁編著『人口減少時代の日本経済』(2006・原書房)』▽『John A. Ross ed.International Encyclopedia of Population(1982, The Free Press, New York)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…数学的現象の名称。人口や生物の個体数の時間的変化を記述する数学のモデルの歴史を考えてみよう。T.R.マルサスの法則(1780)はu(t)を時刻tでの個体数として,微分方程式du/dt=Auで記し,この解としてuはtの指数関数exp(At)となる。…
…人口をめぐる諸現象,ことに人口の過不足の動態とその原因や作用をめぐって主張される法則をいう。人口法則をどのように理解するかは,経済社会全体の仕組みや運動をどのように理解するかに応じて異なりうるし,逆にまた経済社会全体についての理解を左右する意義をもつことが少なくない。…
※「人口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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