改訂新版 世界大百科事典 「サイフアッダウラ」の意味・わかりやすい解説
サイフ・アッダウラ
Sayf al-Dawla
生没年:916-967
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…アブド・アッラーフ‘Abd Allāh(在位905‐929)がモースル総督に任命されたのに始まり,その息子ナーシル・アッダウラNāṣir al‐Dawla(在位929‐969)は大アミール(在任942‐943)としてアッバース朝の政界にも介入したが,979年,ブワイフ朝によって征服され,以後はその保護下に立ち,991年にウカイル朝とマルワーン朝によって分割され滅びた。一方,ナーシル・アッダウラの弟サイフ・アッダウラSayf al‐Dawla(在位944‐967)はアレッポに拠ってシリアのハムダーン朝を開き,よくビザンティン帝国に対抗し,文人・学者を保護した。のちファーティマ朝の圧迫を受け,1004年に併合された。…
…アブド・アッラーフ‘Abd Allāh(在位905‐929)がモースル総督に任命されたのに始まり,その息子ナーシル・アッダウラNāṣir al‐Dawla(在位929‐969)は大アミール(在任942‐943)としてアッバース朝の政界にも介入したが,979年,ブワイフ朝によって征服され,以後はその保護下に立ち,991年にウカイル朝とマルワーン朝によって分割され滅びた。一方,ナーシル・アッダウラの弟サイフ・アッダウラSayf al‐Dawla(在位944‐967)はアレッポに拠ってシリアのハムダーン朝を開き,よくビザンティン帝国に対抗し,文人・学者を保護した。のちファーティマ朝の圧迫を受け,1004年に併合された。…
※「サイフアッダウラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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