モースル(その他表記)Mosul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モースル」の意味・わかりやすい解説

モースル
Mosul

アラビア語ではマウシル Al-Mawsil。イラク北西部,ニーナワー県の県都。バグダードの北北西 350km,チグリス川右岸に位置する。対岸に古代アッシリアの都市遺跡として名高いニネベがある。シリアアレッポからイランにいたる隊商路と,チグリス川水運との結節点にあたる交通の要地で,大小の隊商路がここに集って,古くから商業都市として繁栄,特に7~8世紀のウマイヤ朝の時代に最盛期を迎えた。 13世紀にはモンゴルに破壊されたが 1534年オスマン帝国に占領され,同帝国の交易中心地となった。第1次世界大戦後イラクはトルコから独立したが,1926年までトルコはモースルの領有権を主張し続けた。 39年に北方 100kmのアインザラーフで石油が発見されてからは,めざましい発展をとげ,第2次世界大戦後周辺の諸油田の開発が本格的になるにつれて,イラク北部の拠点都市となった。かつては良質の綿織物を産し,そこからモスリンの名称が生れている。セメント紡績,精糖などが工業の中心であり,周辺の農産物の市場である。バグダード=イスタンブール鉄道,幹線道路で国内はもとより,シリア,トルコと連絡する。空港もある。おもな建造物に旧市の中央にそびえるジャーミ・アルカビール (1172建造) があり,斜塔をもったモスクとして有名。古い建造物はほとんど 13世紀のものである。人口 57万 926 (1985推計) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「モースル」の意味・わかりやすい解説

モースル
Mosul

イラク北部,ティグリス川西岸,古代都市ニネベの対岸にある都市。アラビア語ではマウシルal-Mawṣil。人口110万(2003)。イラク北部の穀倉地帯の中心都市で,イラク第2の人口をもつ。ウマイヤ朝時代にジャジーラ地方の中心都市として発展。10世紀以降,この地を拠点としたハムダーン朝などの地方政権の主都とされた。周囲を多数の遺跡で囲まれ,市内にもイスラム以後の遺構の多い,山間の古都である。バグダード鉄道の通る北部の要衝でもある。1932年にはモースル石油会社が利権を獲得,戦後石油生産を開始した。住民はクルド系が主であるが,アルメニア人などのキリスト教徒もいる。
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百科事典マイペディア 「モースル」の意味・わかりやすい解説

モースル

イラク北部,ティグリス川右岸の都市。住民はクルド人が多い。農産物,畜産物の集散地。製粉,皮革,繊維,製糖,セメント工場がある。付近は石油資源に富むため,第1次大戦後トルコとイラクの間でその帰属が問題になった。アッシリアの故地で,周辺にニネベ,ニムルド,コルサバードなどの遺跡も多い。87万9000人(1995)。

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世界大百科事典(旧版)内のモースルの言及

【モスリン】より

…JIS繊維用語では〈たて,よこ糸に紡績単糸を使用した平,または斜文織の柔軟な織物〉と説明されているが,代表的なものは細い梳毛(そもう)単糸を平織にした柔らかい薄地の毛織物である。〈モスリン〉の語源はイラクの都市モースルに由来し,この地で織られた薄地の綿織物にモスリンの名が付された。インドとくにダッカ(現,バングラデシュ)のモスリンは,金銀糸を用いたきらびやかな薄地綿織物で,ヨーロッパで高く評価され多量に輸出されたが,産業革命期のイギリスはランカシャーの綿工業を保護するためダッカの織工を抑圧し,インドの在来綿業を壊滅させた。…

※「モースル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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