日本大百科全書(ニッポニカ) 「サヤー・サンの乱」の意味・わかりやすい解説
サヤー・サンの乱
さやーさんのらん
1930年12月22日、イギリス領下ビルマ(現ミャンマー)のターヤーワディー県で発生した反植民地農民武装蜂起(ほうき)。上ビルマ、シュエボー地方生まれの在来医サヤー・サンSaya San(1876―1931)によって組織されたガロン結社を中心に、約5000の民衆が抗租抗英を唱え、政庁徴税機関や森林事務局などを襲撃した。これが口火となって、暴動はその後インセイン県、ヤメーディン県など下ビルマ各地および北シャン州にまで波及し、ビルマ史上最大の民衆大反乱に発展していった。政庁側は現有部隊に加え、インドから3600人余の増援軍を投入し、大規模な鎮圧活動を展開した結果、32年3月にやっと終息した。サヤー・サンは31年8月に逮捕され、11月に絞首刑に処せられている。当時、モノカルチュア経済の下で、農民の没落が急激に進行しており、世界恐慌による米価の暴落は、農民の生活を危機的状態に陥れた。そのため、従来からビルマ各地で散発的に発生していた「民衆仏教」の思想体系を核とする農民的反植民地暴動が、一挙に面的な広がりをもって爆発したのがこれである。
[伊東利勝]