…2世紀のプトレマイオスはその地理書で,サラセンの語を用いてアラブに言及している。7世紀にアラブ・イスラム軍がビザンティン帝国を破り,西アジアから北アフリカ,イベリア半島までの地域を支配するようになると,サラセンは,イスラム教徒をさす呼称として用いられるようになり,同地域を支配したウマイヤ朝やアッバース朝は,しばしば〈サラセン帝国〉と呼ばれた。 イスラム教徒の地中海地域の征覇に脅威を感じた中世ヨーロッパのキリスト教徒にとって,サラセンは,キリスト教徒の〈敵〉としてのイメージがまとわりつくようになり,同時に,ゆがめられたサラセン人=イスラム教徒の像がつくりあげられた。…
※「サラセン帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」