メディナ(読み)めでぃな(英語表記)Medina

翻訳|Medina

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メディナ」の意味・わかりやすい解説

メディナ
めでぃな
Medina

サウジアラビア北西部の宗教都市。メッカの北約340キロメートルに位置する。人口84万3000(2003推計)。古くはヤスリブYathribとよばれたオアシス農業地で、交通の便もよくユダヤ人も多く居住していた。622年、ムハンマドマホメット)がメッカの異教徒たちによる迫害を逃れてこの地に聖遷(ヒジュラ)してから、メッカに次ぐイスラム教第二の聖地となり発展した。メディナはアラビア語ではマディーナMadīnahとよぶが、これは「預言者の町(マディーナ・アン・ナビー)」の略である。ムハンマドの没(632)後も初代カリフから第3代カリフまでは政権をここに置いた。市内には「預言者のモスク」とよばれるモスク(マスジッド)があり、その一隅にムハンマドの墓廟(ぼびょう)がある。メッカへの巡礼の前後、巡礼者はかならずメディナ参りをする。メッカ同様、非イスラム教徒は立ち入り禁止だが、メッカと異なり平地に位置するため遠景は望める。周辺はナツメヤシの大産地である。

[片倉もとこ]

歴史

メディナの古名ヤスリブは、2世紀のプトレマイオスの地図や、古代南アラビアの碑文に現れ、町の起源は古くさかのぼることは想定できる。しかし、その歴史が明らかになるのは6世紀末からである。その時期、メディナには、かつて南アラビアから移動してきたアラブと意識する人々と、ユダヤ教徒と意識する人々がいた。前者内戦を繰り返し、622年、イスラムを受け入れ、預言者ムハンマドを迎えることによって内戦を終結した。以後メディナのアラブはムハンマドの下にまとまり、ユダヤ教徒を追い、外部のイスラム教徒を受け入れて発展した。

 ムハンマド没後も、メディナは正統カリフの政治の根拠地で、ここからの指令でイスラム教徒は広大な地域を征服、支配した。ウマイヤ朝以後、政治の中心はアラビアを離れたが、メディナはメッカとともにイスラムの二聖都としての地位を保った。またイスラムの学問の中心地の一つとしての地位も長く保った。1924年以後は、メッカとともにサウジアラビア王国領土に組み込まれている。

後藤 明]

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