翻訳|Damascus
シリアの首都。アラビア語ではディマシュクDimashqまたはシャームal-Shāmとよぶ。シリアの南西部、アンティ・レバノン山脈東麓(とうろく)のシリア高原上のバラダー川がつくった扇状地面に位置する。人口186万1900(2003推計)。標高約700メートル。気候は乾燥し(年降水量158.5ミリメートル)、夏は高温(7月の平均気温26.5℃)、冬は温暖(1月の平均気温5.8℃)である。
バラダー川の扇状地はグータとよばれる大オアシスで、用水路が張り巡らされ、小麦、ブドウ、オリーブ、アンズ、野菜などの栽培が盛んであり、これらの農産物を集散するほか、絹織物、金銀細工、装飾品などの伝統的な手工業が営まれる。また近年は、食料品、繊維、化学などの近代工業もおこってきた。ヨルダンの首都アンマンと鉄道、道路で結ばれるほか、レバノンの首都ベイルート、イラクの首都バグダードとも道路が通じる国際的な陸上交通の要衝で、巨大なスーク(バザール)には、現地産・国産の工芸品のほか外国製品を扱う小売店が軒を並べ、活気がある。また、1969年にフランスの援助によって完成した国際空港がある。多くの史跡があり、スークのそばにある8世紀初期に建てられたウマイヤ・モスク、地下に設けられた聖ハナイア教会、あるいはパウロが吊籠(つりかご)に身を託して追っ手から逃れたという史跡に建つ聖パウロ教会などは有名である。国立博物館やダマスカス大学も所在する。市街はバラダー川の恵みを受け、樹木と庭園が多く、川を挟んで南には旧市街、北には新市街が広がる。背後にはカシオン山がそびえる。1979年には「古都ダマスカス」として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)として登録されたが、内戦により甚大な被害を受けたとして、2013年には危機遺産リスト入りしている。
[末尾至行]
現存する世界最古の都市の一つといわれ、古来、東西交通の要地として繁栄した。紀元前10世紀、アラム王国の首都であったが、その後アッシリア、セレウコス朝、ローマ、ビザンティン帝国の支配を受けた。ビザンティン時代はシリア州の首都であった。635年アラブ・イスラム軍によって征服され、正統カリフ時代はシリア州の総督府として、また軍事基地として存在した。661年ムアーウィヤ1世がウマイヤ朝の首都として以来、「ウマイヤ家のモスク」に象徴されるように、同朝の政治・文化的中心として繁栄した。アッバース朝が創建され一地方の州都となった。9世紀以来、同朝支配体制が弛緩(しかん)して、イフシード朝、ザンギー朝など多くの地方王朝の重要な拠点となった。1148年、十字軍の征服を免れたのち、エジプトからのアイユーブ朝の英主サラディンによる対十字軍戦略の基地の一つとなった。ザンギー朝時代から継続されていた各種学院の創設、商・工業の振興などにより13世紀中ごろに最盛期を迎えた。マムルーク朝時代、首都カイロに次ぐ第二の都市として繁栄を続けたが、1260年と1300年のモンゴル軍の侵入で荒廃した。1400年ティームール軍の徹底的破壊・略奪の結果、30年の間廃墟(はいきょ)と化していた。1516年オスマン帝国の一州都に編入されたのち、東西貿易の中継地として、またメッカ巡礼の集結地として脚光を浴び、かつての繁栄を取り戻した。第一次世界大戦後、オスマン帝国の支配を脱し、1918年、一時ファイサルの「アラブ王国」の首都となったが、1920年からのフランスの委任統治を経て、1946年の独立後、シリアの首都となった。
[花田宇秋]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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