コルドバ(読み)こるどば(英語表記)Córdoba

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コルドバ」の意味・わかりやすい解説

コルドバ(スペイン)
こるどば
Córdoba

スペイン南西部、アンダルシア地方コルドバ県の県都。グアダルキビル川中流右岸、標高106メートルに位置する。人口30万8072(2001)。平均気温は1月9.1℃、7月27.9℃、年降水量664.3ミリメートルと、気候は比較的温和で乾燥しているが夏は暑い。付近の平野は肥沃(ひよく)な農業地帯で、灌漑(かんがい)施設が整備され、穀物、ブドウ、オリーブなどの畑が広がり、町はこれら農産物の集散地となっている。伝統工業としてコルドバ革の製造、宝石や金銀銅細工などがある。また、近年はグアダルキビル川とその支流の水力を利用した発電や、付近の石炭、銅、鉛などの鉱産資源の開発により、郊外に近代工業も立地し始めている。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

ローマ軍によるイベリア征服の過程で、紀元前169年ごろに創設された。やがてイベリア南部におけるローマ文化の中核都市となった。住民は学芸愛好で知られ、そのなかから紀元後1世紀には哲学者セネカが世に出た。8世紀初頭、イベリアを征服したイスラム教徒はその首都をコルドバに定め、ついでダマスカスを追われたウマイヤ朝がここに亡命政権をたてた。10世紀、コルドバは東のバグダードコンスタンティノープルに比肩する西方随一の都市に発展し、「西方の珠玉」とまで評された。だが、11世紀前半には内戦の場と化し、さらにその200年後にキリスト教徒の支配下に入ってからは西のセビーリャに繁栄を奪われていった。

[小林一宏]

コルドバの大モスク

イスラム中世の大都市としてのコルドバのおもかげを伝えるものに、8世紀から10世紀に建造された大モスクがある。785年アブドゥル・ラフマーン1世によって建造が開始され、833年および961年の拡張工事を経て、987年に完成された際にはイスラム世界でメッカのモスクとともに最大の規模を誇り、もっとも美しいイスラム教モスクとなった。総面積は2万3000平方メートルにも及び、植物文様と幾何学文様を組み合わせたイスラム美術独特の美しい装飾をもつ23個の扉口、内部の南側に並ぶ列柱など、ウマイヤ朝およびアッバース朝時代のイスラム美術の傑作である。しかしイスラムの支配時代が終わると同時に、1236年にはカトリック教会となり、1523年にはゴシック式の祭室をもつ大聖堂へと改築されてしまった。この大モスクのある歴史地区は1984年および1994年に世界遺産文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[名取四郎]


コルドバ(アルゼンチン)
こるどば
Córdoba

アルゼンチン中部、コルドバ州の州都。大平原パンパの北西部、プリメロ川沿岸に位置する。都市圏人口127万1435(2001)、同国第二の大都市である。1573年ヘロニモ・ルイス・デ・カブレラによって建設され、周辺地区の穀物や畜産物の集散地として発達した。古くからの交通の要地で、1870年パラナ川沿岸のロサリオ港との間の鉄道が開通、1870年代には国内の主要都市と結ぶ鉄道網の中心地となった。第二次世界大戦後の工業化の過程で自動車工業が発達。ほかに皮革、繊維、食品加工、陶器製造、航空機、セメントなどの工業が盛んで、アルゼンチン有数の工業都市となっている。工業の発展にはプリメロ川の水力発電所の建設が重要な役割を果たした。またスペイン植民地時代の文化の中心地で、市の中心サン・マルティン広場前にある大寺院、総督府の建物は16世紀に建設されたものである。ほかに1613年に設立されたコルドバ大学国立天文台もある。

[今井圭子]


コルドバ(メキシコ)
こるどば
Córdoba

メキシコ南東部、ベラクルス州西部の都市。東シエラ・マドレ山脈東麓(とうろく)の標高852メートルに位置する。人口13万3807(2000)。周辺はミカン、コーヒー、サトウキビの栽培が盛んで、とくにコーヒーの集散地として知られる。国道150号線が通じ、東152キロメートルにメキシコの玄関ベラクルス、西6キロメートルに花園の町フォルテン、その西17キロメートルに紡績の町オリサバがある。北西のオリサバ火山(5675メートル)は万年雪に覆われ、山麓はこの雪解け水に恵まれる。

[高木秀樹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コルドバ」の意味・わかりやすい解説

コルドバ
Córdoba

スペイン南部,アンダルシア自治州中部にあるコルドバ県の県都。モレナ山脈の南麓,グアダルキビル川右岸に位置する。ムーア人(ベルベル人)支配の時代には銀細工,絹の刺繍や高級皮革コードバン(コルドバの名に由来)の製造で有名であったが,今日酒造と織物工業が盛ん。町の起源はおそらくカルタゴの植民地で,以来ローマ,西ゴート(→ゴート人)と支配者が交代した。711年にムーア人に占領され,756年に後ウマイヤ朝の首都となり,10世紀中頃に最盛期を迎えた。1236年にカスティリア王国フェルナンド3世がこの町をイスラム教徒から奪回しキリスト教徒の手に戻したが,芸術や産業は以後衰退した(→国土回復運動)。都市を象徴するコルドバの大モスク(メスキータ)は 1984年に世界遺産の文化遺産に登録され,1994年には大モスクを取り囲む歴史的建造物や街並みにも登録範囲が拡大された。コルドバ西郊にある都市遺跡メディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)は後ウマイヤ朝のカリフの離宮として使用されたもので,2018年に世界遺産の文化遺産に登録された。人口 29万7506(2006推計)。

コルドバ
Córdoba

アルゼンチン中北部,コルドバ州の州都。首都ブエノスアイレスに次ぐアルゼンチン第2の大都市で,首都の北西約 600km,コルドバ山脈東麓にあり,プリメロ川に臨む。 1573年スペイン人によって建設され,イエズス会の布教活動の中心地となった。 17世紀には大西洋岸のブエノスアイレスと太平洋岸のチリ,リマを結ぶ交通路の要地として繁栄。 1866年プリメロ川にダムが建設され,1869年ロサリオからの鉄道が通じてから商工業が急速に発展。ダムはその後改良され,南アメリカで最大級のダムとなり,市に水と電力を供給するほか,灌漑にも利用され,周辺一帯の果樹園や穀物畑を潤す。この電力をもとに市内には自動車工業を中心に,皮革,繊維,ガラス,食品加工などの各種工業が立地し,市は国内有数の工業都市となっている。工業発展に伴って労働運動も盛んとなり,1969年5月市内で始まった軍事政権に反対するストライキはやがてアルゼンチン全土に広がり,ゼネストに発展,コルドバソ cordobazoと呼ばれる運動になった。植民地時代の建築物が多数保存されている美しい町で,観光客が多く,背後のコルドバ山中の保養地への観光基地としてもにぎわう。古くからの文化都市でもあり,国内最古のコルドバ大学 (1613) をはじめとする高等教育機関,博物館,劇場など,教育・文化施設が多い。 2000年イエズス会布教時の名残りをとどめる,市内のイエズス会地区と周辺の住居が世界遺産の文化遺産に登録。アルゼンチン中北部の交通中心地で,市から放射状に鉄道,道路が延びる。近郊には国際空港がある。人口 117万 9067 (1991推計) 。

コルドバ
Córdoba

メキシコ中部,ベラクルス州中部の都市。メキシコ市の東南東約 250km,メキシコ高原南東端部東斜面にあり,標高約 920m。西方にメキシコの最高峰シトラルテペトル火山 (5700m) をのぞむ。 1618年建設。 1821年8月 24日,メキシコのスペインからの独立を定めた条約 (コルドバ条約) が調印された地として知られる。現在周辺の農業地帯の中心地で,コーヒー,サトウキビ,タバコ,バナナなどを集散,加工する。メキシコ市とベラクルスを結ぶ幹線道路,鉄道が通る。人口 15万 428 (1990推計) 。

コルドバ
Córdoba, Josè María

[生]1799
[没]1829
コロンビア独立の英雄,軍人。ボヤカ (1819) ,アヤクチョの戦い (24) で軍功を立てたが,独立後の内乱で落命。

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