サーティーアルフスリー(英語表記)Sāṭi` al-Ḥusrī

改訂新版 世界大百科事典 「サーティーアルフスリー」の意味・わかりやすい解説

サーティー・アルフスリー
Sāṭi` al-Ḥusrī
生没年:1880-1968

シリアイラクで教育行政家として活躍したアラブ民族主義者。のちにアラブ連盟要職にも就いた。もとはオスマン帝国政府の官僚で,自然科学教育と教育行政の刷新を志向して教員となった。〈青年トルコ〉運動と間接に関係をもつこともあったが,第1次世界大戦後はシリアに移りハーシム家ファイサル1世と出会ってアラブ政治とかかわりをもつようになる。そのなかでは,アラブ民族主義に転ずるが,世俗主義個人の尊厳の主張で有名。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「サーティーアルフスリー」の解説

サーティー・アルフスリー
Sāṭi‘ al Ḥusrī


1880 - 1968
シリア,イラクの教育行政家,アラブ民族主義者。
オスマン帝国政府の官僚や教員を経て、第一次世界大戦後、アラブ連盟の要職を務める。世俗主義と個人の尊厳の主張で知られるアラブ民族主義者である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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