シチリアの夕べの祈り(読み)シチリアノユウベノイノリ(その他表記)Vespri siciliani

関連語 晩鐘

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シチリアの夕べの祈り」の意味・わかりやすい解説

シチリアの夕べの祈り
シチリアのゆうべのいのり
Vespri siciliani

13世紀末シチリア(→シチリア島)を舞台としたアラゴン家とアンジュー家の戦争のきっかけとなった騒乱。続く争いはシチリア晩鐘戦争とも呼ばれる。シチリア王となったアンジュー伯シャルル1世は不人気で,パレルモ住民は復活祭翌日の月曜日であった 1282年3月30日の夕べの祈りの際に反乱を起こし,フランス人住民 2000人を殺害した。反乱はたちまち全島に広がり,アンジュー家はシチリアから追放された。代わって,シャルル1世とナポリ王を争って敗れ,この騒乱を画策したアラゴン王ペドロ3世が,王位継承権を主張してシチリア王となった。このためナポリ王国のアンジュー家とシチリア王国のアラゴン家の間に戦争が生じ,これにアラゴン家内部の紛争も加わってシチリアの覇権をめぐる争いが約 20年間続いた。1302年のカルタベロッタの和約終止符が打たれた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android