日本大百科全書(ニッポニカ) 「シチリアの晩鐘」の意味・わかりやすい解説
シチリアの晩鐘
しちりあのばんしょう
Vespro Siciliano イタリア語
1282年に、16年間シチリアを支配していたアンジュー家に対して島民が起こした反乱。3月31日復活祭の聖月曜日の夕方、晩鐘の鳴る時刻にフランス人兵士の専横に抗議してパレルモの民衆が反乱を起こし、これが全島に拡大して多数のフランス人が殺害されたと伝えられている。この反乱の結果、アンジュー家の勢力はシチリア島から一掃され、かわりにアラゴンのペドロ3世がシチリア王位につくことになった。この反乱の根底にはアンジュー家の圧政に対する民衆の反発があったが、それに13世紀中葉までシチリアを支配していたホーエンシュタウフェン家の遺臣の策謀やペドロ3世の野心などが複雑に絡み合っていた。この結果、シチリアと、ナポリを中心とする南イタリアとは別の国となり、両者の戦いは1302年まで続いた。なお、この反乱に題材をとったベルディの同名のオペラ(1855初演)がある。
[清水廣一郎]