現代外国人名録2016 の解説
ジャン・ポール モーニック
Jean-Paul Maunick
- 職業・肩書
- ミュージシャン,音楽プロデューサー
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1957年2月19日
- 出身地
- モーリシャス
- 別名
- 通称=ブルーイ〈Bluey〉
- グループ名
- グループ名=インコグニート〈Incognito〉
- 経歴
- インド洋に浮かぶ島国モーリシャスに生まれ、8歳で英国に渡る。1970年代後半にライト・オブ・ザ・ワールドで活動後、’80年ジャズバンドのインコグニートを結成。ギターやボーカルを務める他、MCや楽曲の大半も手がける。’81年インディペンデント・レーベルからリリースしたデビューアルバム「ジャズ・ファンク」が全英アルバムチャート28位にランクインし、注目を浴びる。その後、一旦は活動を休止するが、’91年アシッド系レーベルのトーキングラウドと契約ののちジャイルス・ピーターソンの支援を受けて制作した「インサイド・ライフ」で活動を再開。ジャズ・ファンク・ムーブメントの勃興に乗じ、「トライブス、ヴァイブス+スクライブス」(’92年)がヒット。ロンドンの腕利きセッションマンによる高度な演奏やアンサンブル、ソウルフルな歌などが人気を呼び、’93年ニューヨークでのクラブ公演を成功させ、世界的な名声を獲得した。’96年ダンスフロア向けに代表曲を編集した「リミックス」を発表。また、同年の来日公演の模様を収録した「トーキョー・ライヴ1996」を日本でのみリリース。2001年を最後に長年所属したトーキングラウドを離れ、2003年日本ではポニーキャニオンと契約して「フー・ニーズ・ラヴ」を発表。2004年ジョージ・デュークをプロデューサーに招き、結成25周年の記念として「アドヴェンチャー・イン・ブラック・サンシャイン」を制作した。2009年結成30周年を迎えて大々的なイベントを行い、日本では同年12月にブルーノート東京で年越しライブを敢行。2011年3月には直前に東日本大震災が起こったにもかかわらず、周囲の反対を押し切って来日公演を決行した。プロデューサーとしても活躍し、ジョージ・ベンソン、ドナルド・バード、マキシ・プリースト、クレモンティーヌらの楽曲を手がける。他のアルバムに「ポジティヴィティ」「ノー・タイム・ライク・ザ・フューチャー」「ライフ・ストレンジャー・ザン・フィクション」「トランスアトランティック・RPM」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報