ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジュルジー・ザイダーン」の意味・わかりやすい解説
ジュルジー・ザイダーン
Jurjī Zaidān
[没]1914.7.22. カイロ
アラブの文芸家,歴史家。貧困のため,小学校を終えたあと働きながら夜学で英語を学んだ。アメリカン大学で約1年医学などを学んだのち,1882年エジプトに行き,カイロでジャーナリストとして生活。 85年ベイルートに帰り,『アラビア語彙と言語哲学』 al-Alfāẓ al-`Arabīyyah wa'l-falsafah al-lughawīyahを書いた。その後イギリスに行き,カイロに戻って定住。 92年,文学,科学の月刊雑誌『ヒラール (新月) 』 al-Hilālを創刊,これは現在まで続いている。この頃から精力的な執筆活動を続け,5巻の『イスラム文明史』 Ta'rīkh al-tamaddun al-Islāmī (1902~07) ,4巻の『アラビア語文学史』 Ta'rīkh `ādāb al-lughat al-`Arabīyah (11) などは刊行当時他に類書のない好著として重宝がられた。またギリシア,ローマ,現代エジプト,イギリス,イスラム以前のアラビアなどの歴史も執筆。特に広く読者を得たのは 40編に及ぶ歴史小説で,『ガッサーンの乙女』 Fatāt Ghassān (1898) ,『ラシードの妹アッバーサ』 al-`Abbāsa 'ukht al-Rashīd (1906) ,『アフマド・イブン・トゥールーン』 Aḥmad ibn Ṭūlūn (09) ,『シャジャラットッ・ドゥッル』 Shajarat al-Durr (14) など,うち 23編はジャーヒリーヤ時代から近代までのイスラム史を興味深く平易に描き出し,現在も版を重ねている。このなかにはドイツ語,フランス語,東洋諸国語に訳されたものもいくつかあるが,日本ではまだ一作も紹介されていない。
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