経済的事情などから昼間は労働に従事する者に対して夜間に行われる教育,またはそのための教育機関をさす。日本では,江戸中期以降,寺子屋に奉公人のための夜学が設けられたり,含翠堂(がんすいどう)(1717年,土橋友直が大坂に設立),懐徳堂などの私塾で夜間の講義・公開講座を行ったり,心学運動が夜間講話を広めたりするなかで,夜学への関心が教師,民衆のあいだに広まっていった。しかし,夜学が制度化されたのは近代学校制度が導入されてからである。1872年(明治5)の〈学制〉は夜間小学校設置をうたったが,実際には1900年代より東京,大阪,神戸など大都市において労働する少年少女のために多く開設され,第2次大戦の敗戦時までつづいた。中等教育でも,1877年に商業夜学校が東京におかれたのを初めとして,第1次大戦後は工業学校や農業学校についても夜間課程への要求が高まり,1928年には文部省が夜間職業学校の設置を法的に認めた。高等教育では,東京物理学校(東京理科大学の前身),立命館などが夜間課程のみで発足したが,やがて昼間部に移り,夜間部を別に設置するようになり,大正期には私立大学を中心にして夜間部がひろく設けられた。
このように日本の近代学校は昼夜2重構造として制度化され,第2次大戦後の新学制のもとでも,夜間中学,定時制高校(学校教育法44条),大学2部(同法54条)としてつづいている。夜学生は昼の労働,夜の勉学で心身ともに疲れがちであるうえに,施設・設備の乏しさ,就職差別などが加わって,昼間生よりきびしい条件におかれている。ヨーロッパでは労働者の組織的学習への要求から,中世末期のギルド経営の夜学や,産業革命期における工場労働者の実業補習教育などの伝統があり,現在はイギリス,ドイツ,フランスなどで制度化されている。社会主義諸国はとくに力を入れ,たとえば旧ソ連の高等教育においては働きつつ学ぶ形態を主流と考え,日本のように一段低く見るということがないのが特徴であった。
執筆者:小沢 有作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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