ジョニーウィア(英語表記)Johnny Weir

現代外国人名録2016 「ジョニーウィア」の解説

ジョニー ウィア
Johnny Weir

職業・肩書
プロスケーター,元フィギュアスケート選手

国籍
米国

生年月日
1984年7月2日

出生地
ペンシルベニア州コーテスビル

本名
Weir,John Garvin

経歴
一般より6年近く遅い12歳でフィギュアスケートを始め、16歳で世界ジュニア王者となる。2003〜2004年シーズンに全米選手権初優勝、世界選手権5位。2004〜2005年シーズンはISUグランプリ(GP)シリーズ・エリック杯とNHK杯で優勝、全米選手権2連覇、世界選手権4位。2005〜2006年シーズンは全米選手権3連覇、トリノ五輪5位、世界選手権7位。2006〜2007年シーズンは4連覇を目指した全米選手権で3位、世界選手権は8位に終わる。2007年夏ガリナ・ズミエフスカヤとアルベールビル五輪金メダリストのヴィクトル・ペトレンコをコーチに迎える。2007〜2008年シーズンはGPシリーズ・中国杯とロステレコム杯で優勝、GPファイナル4位、全米選手権2位、世界選手権で銅メダルを獲得。2008〜2009年シーズンはGPシリーズ・NHK杯とスケートアメリカで2位、GPファイナルは3位、全米選手権3位。2009〜2010年シーズンはGPシリーズ・NHK杯2位、GPファイナルは3位、全米選手権3位。バンクーバー五輪ではショートプログラム(SP)でセクシーな演技披露、フリーの「堕ちた天使」の演技で観客の心をつかんだが、総合6位に終わる。2010〜2011年シーズンは休養、2013年競技生活から退いた。引退後はプロスケーターとして活躍する他、テレビ解説では歯に衣着せぬコメントと派手な衣装で注目を集める。流れるような滑らかなスケーティングや、独自の世界観を持った中世的で芸術性の高い演技に定評があり、日本でも多くのファンを獲得している。2011年自伝「Welcome to My World」を出版し、同性愛者であることを告白。同年末にはロシア系米国人弁護士と同性愛婚し話題になった(のち離婚)。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ジョニーウィア」の解説

ジョニー ウィア
Johnny Weir
フィギュアスケート

フィギュアスケート選手
生年月日:1984年7月2日
国籍:米国
出生地:ペンシルベニア州コーテスビル
別名等:本名=John Garvin Weir
経歴:1996年12歳の時にフィギュアスケートを始める。2003〜2004年シーズンに全米選手権初優勝、世界選手権5位。2004〜2005年シーズンはISUグランプリ(GP)シリーズ・エリック杯とNHK杯で優勝、全米選手権2連覇、世界選手権4位。2005〜2006年シーズンは全米選手権3連覇、トリノ五輪5位、世界選手権7位。2006〜2007年シーズンは4連覇を目指した全米選手権で3位、世界選手権は8位に終わる。2007年夏ガリナ・ズミエフスカヤとアルベールビル五輪金メダリストのヴィクトル・ペトレンコをコーチに迎える。2007〜2008年シーズンはGPシリーズ・中国杯とロステレコム杯で優勝、GPファイナル4位、全米選手権2位、世界選手権で銅メダルを獲得。2008〜2009年シーズンはGPシリーズ・NHK杯とスケートアメリカで2位、GPファイナルは3位、全米選手権3位。2009〜2010年シーズンはGPシリーズ・NHK杯2位、GPファイナルは3位、全米選手権3位。バンクーバー五輪ではショートプログラム(SP)でセクシーな演技を披露、フリーの「堕ちた天使」の演技で観客の心をつかんだが、総合6位に終わる。2010〜2011年シーズンは休養。2013年引退。流れるような滑らかなスケーティングや、独自の世界観を持った芸術性の高い演技に定評があり、日本でも多くのファンを獲得した。2011年自伝「Welcome to My World」を出版し、同性愛者であることを告白。同年末にはロシア人弁護士と同性愛婚し話題になった。

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