改訂新版 世界大百科事典 「スピリドーノワ」の意味・わかりやすい解説
スピリドーノワ
Mariya Aleksandrovna Spiridonova
生没年:1884-1941
ロシアの女性革命家,左派エス・エル党指導者。タンボフ県の貴族の娘。1905年,看護婦養成所在学中エス・エル党に入党。06年タンボフ県農民運動の抑圧者ルジェノフスキー将軍を駅構内で狙撃し,暗殺した。軍事裁判で死刑判決を受けるが,のち終身懲役に減刑され,シベリアの監獄に送られた。17年,二月革命によって解放され,ペテルブルグに戻るとエス・エル党左派の中心となり,十月革命を支持した。17年11月の第1回左派エス・エル党大会では指導的役割を果たし,最高指導部の一人となった。ブレスト講和にはむしろ賛成の立場をとったが,18年4月以後農民問題を中心にボリシェビキの政策を革命を裏切るものと強く批判した。18年7月の〈エス・エル反乱〉後逮捕され,裁判,禁錮(きんこ)刑,地下活動のあと,20年10月以降政治活動の自由を奪われた。25年以後辺境で追放生活を送った。
執筆者:和田 あき子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報