改訂新版 世界大百科事典 「スールヤバルマン2世」の意味・わかりやすい解説
スールヤバルマン[2世]
Sūryavarman Ⅱ
カンボジアのアンコール朝最盛期の王。在位1113-50年以後。生没年不明。11世紀後半に登場した新王家マヒーダラプラの3代目にあたる。大叔父ダラニーンドラバルマン1世を退けて即位した。王はビシュヌ神を篤信していたので,諡号(しごう)をパラマビシュヌロカ(〈ビシュヌの崇高なる地へ向かった王〉の意)という。国内を統一し,東隣のチャンパを1145年から5年間占領し,3度ダイベト(大越。ベトナム)へ侵攻した。また南宋へ朝貢し,その版図はメナム川上流域からマレー半島北部にまで及び,アンコール文明の輝ける時代を築いた。王はまたアンコール・ワットの建立者としても有名である。その回廊内壁の浮彫には王の偉業が描出されており,中央塔堂内では王を神格化した〈ビシュヌ・ラージャ(〈ビシュヌ即王〉の意)〉神像が礼拝されていたという。アンコール・ワットは王の死後は霊廟寺院となった。王はほかに数多くの寺院を造営し,近隣諸国との戦争を続行したが,これを可能にしたのはすぐれた水利施設による農業と賦役による動員体制であった。しかし大事業は王国の疲弊を招き,治世末期に王は行方不明となってしまった。
執筆者:石沢 良昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報