ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソンゴトゥ」の意味・わかりやすい解説
ソンゴトゥ(索額図)
ソンゴトゥ
Songotu
[没]康煕42(1703).北京
中国,清朝の満州人官僚。ヘシェリ (赫舎里) 氏出身の正黄旗満州旗人。清初の名臣ソニン (索尼)の第3子で,康煕8 (1669) 年国史院大学士,翌年に保和殿大学士となり,次第に朝廷内で勢力をたくわえ,内大臣,議政大臣などに任じられ,明珠と権力を競った。同 28年のネルチンスク条約締結に清朝の全権大使となり,翌年の裕親王のガルダン (噶爾丹)征討,同 35年の康煕帝のガルダン親征に従うなど外交的にも活躍した。彼は時の皇太子胤じょう (いんじょう) の母皇后の叔父にあたるため,同 27年の明珠の失脚以後,多くの臣下がソンゴトゥと胤じょうに集り,その権力が強大になったため,康煕帝はソンゴトゥを幽閉し,結局同 42年に自殺を命じた。
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