現代外国人名録2016 「タイガーウッズ」の解説
タイガー ウッズ
Tiger Woods
- 職業・肩書
- プロゴルファー
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1975年12月30日
- 出生地
- カリフォルニア州サイプレス
- 本名
- ウッズ,エルドリック〈Woods,Eldrik Tont〉
- 学歴
- スタンフォード大学〔1996年〕中退
- 受賞
- PGA年間最優秀選手〔1997年・1999年・2000年・2001年・2002年・2003年・2005年・2006年・2007年・2009年・2013年〕,ローレウス・スポーツ賞(スポーツマン賞,第1回)〔2000年〕
- 経歴
- 元米陸軍大佐の父アール・ウッズとタイ出身の母の間に生まれる。父にゴルフの英才教育を受け、全米ジュニア選手権3連覇。1992年ロサンゼルス・オープンにプロゴルフ協会の公式戦では史上最年少の16歳で出場、’94年全米アマチュア選手権で最年少優勝を飾るなど、幼い時からアマチュアゴルフの記録を塗り替えてきた。’96年史上初の全米アマ3連覇。同年大学を中退し、8月プロデビュー。10月デビュー5戦目のラスベガス招待で米国男子プロツアー(PGA)初優勝。’97年マスターズで最年少(21歳3ケ月)、大会史上最少ストローク(270)でメジャー初優勝。この年21歳10ケ月で史上最年少賞金王に。’99年全米プロゴルフ選手権で初優勝。2000年2月ペブルビーチ・ナショナル・プロアマで優勝し、ベン・ホーガンが1948年に達成して以来の米国ツアー6試合連続優勝を達成。全米オープンと全英オープンで初優勝し、史上5人目、24歳6ケ月の最年少でグランドスラム(4大大会全制覇)を達成。全米プロゴルフ選手権連覇。2001年マスターズで2度目の優勝を果たし、2000年の全米オープン以来史上初のメジャー4連勝を達成。2003年世界ゴルフツアー(WGC)のアクセンチュア・マッチプレーを制し、WGC4試合すべてで優勝するグランドスラムを達成。2005年4度目のマスターズ優勝。全英オープンでも優勝し、ジャック・ニクラウス(当時31歳1ケ月7日)を凌ぐ29歳7ケ月18日で史上2人目のダブルグランドスラム(4メジャー大会すべてを2度以上優勝)を達成。2006年5月父ががんのため死去した後低迷するが、全英オープン連覇、全米プロゴルフ選手権通算3回目の優勝。2007年全米プロゴルフ選手権で2年連続4度目の優勝。9月、同年から導入されたポイント制プレーオフの最終戦に勝利し、初代年間王者となる。2008年4月左膝を手術。6月全米オープンで3度目の優勝を果たし、ニクラウスに次ぐ史上2人目のトリプルグランドスラムを達成。その後、左膝の再手術に踏み切る。2009年は米国ツアー6勝で、2年ぶり9度目の賞金王に。プロ14年目のこの年、米経済誌「フォーブス」によりスポーツ選手として史上初めて生涯収入が10億ドル(約900億円)を超える。同年12月自宅近くで起こした交通事故をきっかけに不倫騒動に発展し、無期限での競技自粛を余儀なくされる。2010年4月マスターズで144日ぶりにツアーに復帰。2012年3月アーノルド・パーマー招待で3年ぶりの米国ツアー優勝。9月には史上初となる米国ツアー獲得賞金1億ドル(約80億円)を突破。2013年3月、2年半ぶりに世界ランク1位に返り咲く。米国ツアー通算79勝はサム・スニード(米国)の82勝に次ぐ歴代2位。メジャー14勝はニクラウスの18勝に次ぐ歴代2位。米国ツアー賞金王10回。185センチ、84キロ。1996年に父とともにタイガー・ウッズ基金を創設。またマイノリティー(少数民族)のゴルフ参加援助を目的としたタイガー・ウッズ財団を設立。’97年11月初来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報