改訂新版 世界大百科事典 「タムリン」の意味・わかりやすい解説
タムリン
Muhamad Husni Thamrin
生没年:1894-1941
インドネシア民族主義運動の指導者。ジャカルタの目抜通りにその名を残している。バタビア(現,ジャカルタ)に生まれ,1919年からバタビア市会議員となり,27年にはカウム・バタウィ(バタビア人協会)の代表として国民参議会の議員に任命された。その後,30年代を通じて穏健な民族主義路線の指導者として,国民参議会で活躍するかたわら,35年にはパリンドラ(大インドネシア党)の結成に参加し,39年のガピ(インドネシア政治連合)発足に際しては,シャリフディンらとともに中心的な役割を果たした。一方,スカルノらとの親交も厚く,フロレス島のエンデに流刑されていたスカルノの健康状態を心配して彼をスマトラへ移すために尽力し,スカルノ,ハッタ,ストモらの著名な民族主義指導者が政治舞台から去ったあとの30年代後半にはその令名を高めたが,41年1月逮捕され,4日後に拘置所で急死した。
執筆者:土屋 健治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報