ハッタ(読み)はった(英語表記)Mohammad Hatta

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハッタ」の意味・わかりやすい解説

ハッタ
はった
Mohammad Hatta
(1902―1980)

インドネシアの政治家。スマトラ西部ブキティンギ生まれ。1922~1932年のオランダ留学中に留学生独立運動「インドネシア協会(プルヒンプナン・インドネシア)」を指導した。1934年オランダ植民地政府に逮捕・流刑されたが、1942年彼の協力を求める日本軍によって釈放された。1945年スカルノ連名でインドネシアの独立を宣言。初代副大統領としてスカルノ大統領とともに「二者一体」と称された。1948~1950年には首相・外相・国防相を兼任、軍・行政の合理化と経済建設に心血を注いだ。しかし、カリスマ的指導者たるスカルノが権威主義的な「指導民主主義」に傾斜し、急進民族主義外交を展開し始めたことに失望して、1956年副大統領職を辞し、一知識人としてスカルノ体制を批判し続けた。彼の著『我等が民主主義(デモクラシ・キタ)』(1960)は「九月三〇日事件」後のスハルト新体制の一指針とされたが、同体制の軍政色が濃厚になるにつれ、しだいに体制批判を強めた。

[黒柳米司]

『ハッタ著、大谷正彦訳『ハッタ回想録』(1993・めこん)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハッタ」の意味・わかりやすい解説

ハッタ
Hatta, Mohammad

[生]1902.8.12. スマトラ,ブキチンギ
[没]1980.3.14. ジャカルタ
インドネシアの政治家,経済学者。 1922~32年オランダ留学中に,留学生の進歩的政治組織インドネシア協会の会長として活躍した。帰国後対オランダ非協力運動を展開,逮捕され,34年西イリアンに流刑。 42年日本軍に釈放され,日本軍政に協力,プートラ運動 (民衆総力結集運動) の指導者として独立運動を展開した。 45年8月 17日の独立宣言にはスカルノとともに署名し,副大統領に就任。 48~49年首相兼国防相,49年のハーグ円卓会議に首席代表となり,共和国の主権回復とともに再び副大統領として,また 49~50年首相兼外相として最高指導者の一人となった。しかし,スカルノの「指導される民主主義」 (→指導制民主主義 ) の提唱とは対立し,56年副大統領を辞任,60年『民主主義宣言』を書いて,スカルノを批判。九・三〇事件以後は新体制を支援。しかし,76年9月反政府文書署名事件で,スハルト大統領に謝罪を表明した。著書に"The Co-operative Movement in Indonesia" (1957) がある。

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