ダゴホイの乱(読み)ダゴホイのらん

改訂新版 世界大百科事典 「ダゴホイの乱」の意味・わかりやすい解説

ダゴホイの乱 (ダゴホイのらん)

スペイン植民地下のフィリピン中南部のボホール島で,1744年から1829年まで85年の長期にわたって闘われた対スペイン反乱。指導者はボホール島イナバガ町の住民ダゴホイFrancisco Dagohoy(?-18世紀末?)。1744年イナバガ町で巡査を務めるダゴホイの弟が教区司祭の命令で背教者の逮捕に赴いたが,決闘のすえ殺された。しかし教区司祭は,キリスト教で禁ずる決闘で死亡したという理由で殉職した弟の葬儀執行を拒否し,憤ったダゴホイは隣人らに呼びかけて蜂起した。長年スペイン当局の圧政に苦しんできた島民は陸続としてこの呼びかけにこたえ,島中央部の険阻な山中要塞を築いてスペイン当局と対峙した。反乱勢力は当初の3000人ほどからやがて3万人を超え,山中にはいくつかの自由な村落が形成された。マニラ政庁の再三にわたる討伐隊派遣,特赦の提供などが1829年までいずれも失敗した背景には,イギリスのマニラ占領(1762-64)などの政治情勢のほか,マニラから隔たった地理地形の利,自由な村落にはぐくまれた連帯士気,島民全体のさまざまな形での反乱支援などがあったためとみられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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