1980年にポーランドで誕生した独立労働組合。当時のソ連圏では労組は党権力の意向を労働者に伝える「伝導帯」でしかなく、党権力から独立した全国労組が公認されたことは画期的事件であった。80年7月に政府が発表した食糧品等の大幅値上げに反対し、グダニスク等のバルト海沿岸地方で労働者のストが発生、全国化の形勢が現れたので、政府はグダニスクの連合スト委員会と交渉を重ね、8月31日に政労合意が成立した。それにより政府から独立した労組が公認され、スト権を与えられることになった。9月17日に36の組織の代表500名がグダニスクに集まり、22日に「連帯」という名の全国連合組織の規約を採択し、レーニン造船所電気工ワレサを議長に選出した。ワルシャワ地裁がその規約に難色を示し対立が発生したが、11月10日に最高裁が規約を承認、労組は正式に発足した。その後、組織は全国的に拡大、学生、農民にも広がり、組合員は940万にもなったが、指導部は政府との対立のなかでしだいに急進化した。81年12月の戒厳令により幹部の大半が拘禁され、残った幹部が82年4月に地下で暫定委員会を結成、労働者に抵抗を訴えた。10月に新労組法が成立、「連帯」は正式に非合法化された。弾圧を受けたのちの「連帯」は、主として政治運動として生き延びた。「連帯」は急速に力を失ったが、政府の改革案も国民の支持を得ることはできなかった。
1988年8月、全国規模のスト収拾のため政府は「連帯」との対話を決定、89年「連帯」復権や自由選挙の実施などで合意した。6月の総選挙では、「連帯」が圧倒的な勝利を収め、首相にはマゾビエツキが就任した。マゾビエツキ政権は、経済再建のために市場経済導入などの政策をとったが、これをきっかけにして経済改革論争が起こり「連帯」はワレサ派、マゾビエツキ派などに分裂した。90年の大統領選では、ワレサがマゾビエツキらを破って当選した。91年10月の総選挙でも「連帯」系の民主同盟が第一党を確保した。しかし、93年9月の総選挙では「連帯」系の諸政党は敗退し、旧共産党系政権が誕生した。95年の大統領選ではワレサも敗北した。96年6月「連帯」の拠点であったグダニスクの「レーニン造船所」が倒産した。どん底の「連帯」であったが、その同じ6月「連帯」を中核とする政治集団「連帯選挙行動」が発足、97年9月総選挙では「連帯選挙行動」が第一党に進出した。「連帯選挙行動」は2000年まで第一党であったが、同年10月の大統領選挙で「連帯」系のクシャクレフスキが大敗したことにより、2001年9月の総選挙に向けての分裂・再編が始まり、同年5月労組「連帯」は「連帯選挙行動」から離脱した(「連帯選挙行動」は同選挙で惨敗)。同年6月、ワレサの側近であった「連帯」出身のレフ・カチンスキは、双子の弟ヤロスワフ・カチンスキとともに中道右派の政党「法と正義」を結成、「法と正義」は2005年の総選挙で勝利し第一党に進出した。
[木戸 蓊]
『J・スタニシキス著、大朏人一訳『ポーランド社会の弁証法』(1981・岩波書店)』▽『工藤幸雄監修『ポーランド『連帯』の挑戦』(1981・柘植書房)』▽『ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ著、工藤幸雄監訳『ポーランドを生きる――ヤルゼルスキ回想録』(1994・河出書房新社)』▽『水谷驍著『ポーランド「連帯」――消えた革命』(1995・拓植書房)』▽『アダム・ミフニク著、水谷驍他編訳『民主主義の天使――ポーランド・自由の苦き味』(1995・同文舘出版)』▽『田口雅弘著『ポーランド体制転換論――システム崩壊と生成の政治経済学』(2005・御茶の水書房)』
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…炭鉱夫の経済的要求に基づくストライキへの支援を,TUCが傘下の労働組合に呼びかけたことから,他産業の労働者の間に同情ストが広まり,ゼネストとなった。労働者階級の連帯は堅かったが,ゼネストに対する上流・中産階級の憎悪は著しく,保守党政府は武装警官や軍隊を招集し,きわめて強圧的な態度をとった。ゼネストは9日間しか続かず労働者の敗北に終わったが,9日の間,イギリス資本主義は体制的な危機に直面したといわれている。…
…つまりドイツ,フランスを中心とする資本輸出に伴う独占と金融資本の早熟的形成,遅れた小工業や半封建的農業,労働者や農民の階級内分裂が顕著に見られ,また,西欧列強(独墺系と仏露系)の権力政治に東欧の外交やナショナリズムが操られるとともに(パン・スラブ主義やパン・ゲルマン主義),東欧自身においても,支配層は労働者や農民の運動の台頭に対抗するためにナショナリズムを利用し,民族間の相互対立を助長した(マケドニア問題やトランシルバニア問題)。こうして労働者や農民や諸民族の運動が連帯できないで分裂している間に,東欧を舞台に第1次世界大戦が準備されていった。 第1次大戦とロシア革命期には,東欧においてもロシアと同様の革命的危機があったが,結局はハンガリーとブルガリアでの短期の革命政権を除けば,ブルジョア的な小〈民族国家〉が形成されるにとどまった。…
…スト労働者との間に結ばれたグダンスク協定は国家と社会の二元体制,すなわち一方における党の指導的役割と,他方における労組活動の自由を定めており,以後15ヵ月間擬似憲法的役割を果たした。これに基づき設立された自主独立労働組合〈連帯〉(略称NSZZ“Solidarność”)はたちまちのうちに950万の組合員を獲得し(委員長ワレサLech Wałęsa,1943‐ ),農民組合,学生連合,その他の自立的社会組織の成立を促した。他方,党側も第一書記のカニアStanisław Kania(1927‐ )を中心として党内自由選挙を実施するなど,体制刷新に努めたが,新しい状況に対応しえなかった。…
…それとともに,産業別連合体も再編されることになり,民間産業の同盟系組合員数が増加し,1967年には総評の民間組合員数を上まわった。と同時に国際化の進展にともない,労働組合運動の国際的連帯の必要性が痛感されてきた。(2)官公労働組合においても,スト権奪還闘争の重要な一環であったいわゆるILO闘争を通じて,国際自由労連およびITS(国際産業別組織)の援助を受け,それとの接触が深まる一方,ハンガリー事件,チェコ事件,ポーランドのたび重なる騒動などによって,社会主義圏の労働組合を中心とする世界労連の威信が国際的に低下した。…
…第2次大戦後の労働者管理の復興は,社会主義と資本主義との二つの体制的文脈においてとらえることができる。労働者管理型の社会主義を代表するのはユーゴスラビアであり,1956年のハンガリー事件や60年代のアルジェリアの試み,68年に中断を強いられたチェコスロバキアの〈プラハの春〉,そして80年のポーランドにおける自主管理労組〈連帯〉の運動などは,既成社会主義体制下の内部変革の試みとして注目された。資本主義下での労働者管理の試みの復活は,1968年のフランス〈五月革命〉を嚆矢(こうし)とし,翌69年のイタリアの職場反乱に後続され,以降70年代から現在に至るイギリス,フランス,日本,アメリカでのおもに企業倒産,工場閉鎖に抗しての工場占拠・自主管理闘争へと継承されている。…
※「連帯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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