連帯(読み)レンタイ(その他表記)Solidarność

デジタル大辞泉 「連帯」の意味・読み・例文・類語

れん‐たい【連帯】

[名](スル)
二つ以上のものが結びついていること。「連帯感」
奥山の話は榛野はんのという男の事に―して出るのが」〈鴎外ヰタ‐セクスアリス
二人以上の者が共同である行為または結果に対して責任を負うこと。「連帯して事に当たる」

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精選版 日本国語大辞典 「連帯」の意味・読み・例文・類語

れん‐たい【連帯】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 二つ以上のものを結びつらねること。互いに関係をもちあうこと。連係。
      1. [初出の実例]「海濱の砂石も〈略〉互に相接し相共に聯帯一致の運動をなす者なれば」(出典:将来之日本(1886)〈徳富蘇峰〉一)
    2. 法律で、二人以上の者が共同してある行為またはその結果に対して責任をもつこと。〔仏和法律字彙(1886)〕
  2. [ 2 ] ( [ポーランド語] Solidarność の訳語 ) ポーランド自主管理労組の全国組織。一九八〇年九月設立。次第に統一労働者党に対する政治勢力としての立場を強めていったため八二年に非合法化されたが八九年に復権。九〇年の大統領選に連帯初代委員長レフ=ワレサが当選した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「連帯」の意味・わかりやすい解説

連帯
れんたい
Solidarność

1980年にポーランドで誕生した独立労働組合。当時のソ連圏では労組は党権力の意向を労働者に伝える「伝導帯」でしかなく、党権力から独立した全国労組が公認されたことは画期的事件であった。80年7月に政府が発表した食糧品等の大幅値上げに反対し、グダニスク等のバルト海沿岸地方で労働者のストが発生、全国化の形勢が現れたので、政府はグダニスクの連合スト委員会と交渉を重ね、8月31日に政労合意が成立した。それにより政府から独立した労組が公認され、スト権を与えられることになった。9月17日に36の組織の代表500名がグダニスクに集まり、22日に「連帯」という名の全国連合組織の規約を採択し、レーニン造船所電気工ワレサを議長に選出した。ワルシャワ地裁がその規約に難色を示し対立が発生したが、11月10日に最高裁が規約を承認、労組は正式に発足した。その後、組織は全国的に拡大、学生、農民にも広がり、組合員は940万にもなったが、指導部は政府との対立のなかでしだいに急進化した。81年12月の戒厳令により幹部の大半が拘禁され、残った幹部が82年4月に地下で暫定委員会を結成、労働者に抵抗を訴えた。10月に新労組法が成立、「連帯」は正式に非合法化された。弾圧を受けたのちの「連帯」は、主として政治運動として生き延びた。「連帯」は急速に力を失ったが、政府の改革案も国民の支持を得ることはできなかった。

 1988年8月、全国規模のスト収拾のため政府は「連帯」との対話を決定、89年「連帯」復権や自由選挙の実施などで合意した。6月の総選挙では、「連帯」が圧倒的な勝利を収め、首相にはマゾビエツキが就任した。マゾビエツキ政権は、経済再建のために市場経済導入などの政策をとったが、これをきっかけにして経済改革論争が起こり「連帯」はワレサ派、マゾビエツキ派などに分裂した。90年の大統領選では、ワレサがマゾビエツキらを破って当選した。91年10月の総選挙でも「連帯」系の民主同盟が第一党を確保した。しかし、93年9月の総選挙では「連帯」系の諸政党は敗退し、旧共産党系政権が誕生した。95年の大統領選ではワレサも敗北した。96年6月「連帯」の拠点であったグダニスクの「レーニン造船所」が倒産した。どん底の「連帯」であったが、その同じ6月「連帯」を中核とする政治集団「連帯選挙行動」が発足、97年9月総選挙では「連帯選挙行動」が第一党に進出した。「連帯選挙行動」は2000年まで第一党であったが、同年10月の大統領選挙で「連帯」系のクシャクレフスキが大敗したことにより、2001年9月の総選挙に向けての分裂・再編が始まり、同年5月労組「連帯」は「連帯選挙行動」から離脱した(「連帯選挙行動」は同選挙で惨敗)。同年6月、ワレサの側近であった「連帯」出身のレフ・カチンスキは、双子の弟ヤロスワフ・カチンスキとともに中道右派の政党「法と正義」を結成、「法と正義」は2005年の総選挙で勝利し第一党に進出した。

[木戸 蓊]

『J・スタニシキス著、大朏人一訳『ポーランド社会の弁証法』(1981・岩波書店)』『工藤幸雄監修『ポーランド『連帯』の挑戦』(1981・柘植書房)』『ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ著、工藤幸雄監訳『ポーランドを生きる――ヤルゼルスキ回想録』(1994・河出書房新社)』『水谷驍著『ポーランド「連帯」――消えた革命』(1995・拓植書房)』『アダム・ミフニク著、水谷驍他編訳『民主主義の天使――ポーランド・自由の苦き味』(1995・同文舘出版)』『田口雅弘著『ポーランド体制転換論――システム崩壊と生成の政治経済学』(2005・御茶の水書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「連帯」の意味・わかりやすい解説

連帯
れんたい
Solidarność

1980年9月に設立されたポーランドの自主管理労働組合。1980年7月に政府が発表した食肉,肉製品の値上げに対し,同年 8月グダニスクのレーニン造船所をはじめとして各地で労働者のストライキが発生し,同造船所の電気工レフ・ワレサを委員長とする「工場間スト委員会」が結成された。委員会は政府との交渉の末,自主管理労働組合「連帯」の設立を認めさせた。1981年初頭には連帯に加盟した労働者は 1000万人にも達した。連帯はしだいに急進化し,ポーランドを「自主管理共和国」に改造することなどを求め,政府との対立を激化させた。ソビエト連邦の軍事介入が懸念されるなかで 1981年12月ウォイチェフ・W.ヤルゼルスキ首相はポーランド全土に戒厳令を施行,連帯は非合法化され,中心的メンバーはほとんど逮捕された。戒厳令は 1983年7月解除され,政治・経済危機解決の国民的合意を得るために政府は連帯との妥協の道を探ることになった。かくして 1989年2月から同年 4月まで政権側と反体制の連帯が円卓会議を開き,連帯の合法化,1989年6月の選挙実施などで合意した。選挙では連帯が圧勝し,同年 8月には連帯のタデウシュ・マゾウィエツキを首相とする新政権が発足した。この年の 12月末に国名をポーランド共和国とし,「共産党の指導的役割」を憲法から削除した。その後内部で対立が発生,反ワレサ派は 1990年7月民主同盟を結成,大統領選挙ではワレサ候補に対抗してマゾウィエツキを擁立したが,選挙の結果ワレサが勝利し,1990年12月大統領に就任した。連帯はその後も分裂を重ね,連帯に対する国民の支持も大幅に低下,1993年9月の選挙では旧共産党系の民主左翼同盟に敗れた。1996年には連帯を中心とする選挙連合「連帯選挙運動」を組織した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「連帯」の解説

連帯
れんたい
Solidarnosc

1980年に結成されたポーランドの自主管理労働組合
ギエレク政権の高度経済成長政策のゆきづまりから,1980年7月以降,民衆の間でストライキが拡がると,8月のグダニスク−ストライキの結果,政府権力から自由な労働組合の結成とスト権が合意された。9月自主管理労組「連帯」が約1000万人の全国組織として発足し,議長ワレサの指導下に自由化を主張。1981年12月,首相兼党第一書記ヤルゼルスキによって戒厳令が布告され,翌82年10月非合法化された。その後も抵抗運動は展開されたが漸次下火となり,「連帯」は労働運動としての性格を弱め,政治運動として発展する。1989年2月,共産党改革派と「連帯」穏健派の妥協が成立し,円卓会議が開かれた。民主革命が進むなか,「連帯」市民委員会は同年6月の自由選挙で勝利をおさめ,政権を獲得した。しかし,労組としての「連帯」は,全国労働組合協議会(かつての官許労組)よりも低調になった。

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普及版 字通 「連帯」の読み・字形・画数・意味

【連帯】れんたい

共同する。

字通「連」の項目を見る

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「連帯」の解説

「連帯」(れんたい)

ポーランド自主管理労組「連帯」

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世界大百科事典(旧版)内の連帯の言及

【ゼネスト】より

…炭鉱夫の経済的要求に基づくストライキへの支援を,TUCが傘下の労働組合に呼びかけたことから,他産業の労働者の間に同情ストが広まり,ゼネストとなった。労働者階級の連帯は堅かったが,ゼネストに対する上流・中産階級の憎悪は著しく,保守党政府は武装警官や軍隊を招集し,きわめて強圧的な態度をとった。ゼネストは9日間しか続かず労働者の敗北に終わったが,9日の間,イギリス資本主義は体制的な危機に直面したといわれている。…

【東欧】より

…つまりドイツ,フランスを中心とする資本輸出に伴う独占と金融資本の早熟的形成,遅れた小工業や半封建的農業,労働者や農民の階級内分裂が顕著に見られ,また,西欧列強(独墺系と仏露系)の権力政治に東欧の外交やナショナリズムが操られるとともに(パン・スラブ主義パン・ゲルマン主義),東欧自身においても,支配層は労働者や農民の運動の台頭に対抗するためにナショナリズムを利用し,民族間の相互対立を助長した(マケドニア問題やトランシルバニア問題)。こうして労働者や農民や諸民族の運動が連帯できないで分裂している間に,東欧を舞台に第1次世界大戦が準備されていった。 第1次大戦とロシア革命期には,東欧においてもロシアと同様の革命的危機があったが,結局はハンガリーとブルガリアでの短期の革命政権を除けば,ブルジョア的な小〈民族国家〉が形成されるにとどまった。…

【ポーランド】より

…スト労働者との間に結ばれたグダンスク協定は国家と社会の二元体制,すなわち一方における党の指導的役割と,他方における労組活動の自由を定めており,以後15ヵ月間擬似憲法的役割を果たした。これに基づき設立された自主独立労働組合〈連帯〉(略称NSZZ“Solidarność”)はたちまちのうちに950万の組合員を獲得し(委員長ワレサLech Wałęsa,1943‐ ),農民組合,学生連合,その他の自立的社会組織の成立を促した。他方,党側も第一書記のカニアStanisław Kania(1927‐ )を中心として党内自由選挙を実施するなど,体制刷新に努めたが,新しい状況に対応しえなかった。…

【労働組合】より

…それとともに,産業別連合体も再編されることになり,民間産業の同盟系組合員数が増加し,1967年には総評の民間組合員数を上まわった。と同時に国際化の進展にともない,労働組合運動の国際的連帯の必要性が痛感されてきた。(2)官公労働組合においても,スト権奪還闘争の重要な一環であったいわゆるILO闘争を通じて,国際自由労連およびITS(国際産業別組織)の援助を受け,それとの接触が深まる一方,ハンガリー事件,チェコ事件,ポーランドのたび重なる騒動などによって,社会主義圏の労働組合を中心とする世界労連の威信が国際的に低下した。…

【労働者管理】より

…第2次大戦後の労働者管理の復興は,社会主義と資本主義との二つの体制的文脈においてとらえることができる。労働者管理型の社会主義を代表するのはユーゴスラビアであり,1956年のハンガリー事件や60年代のアルジェリアの試み,68年に中断を強いられたチェコスロバキアの〈プラハの春〉,そして80年のポーランドにおける自主管理労組〈連帯〉の運動などは,既成社会主義体制下の内部変革の試みとして注目された。資本主義下での労働者管理の試みの復活は,1968年のフランス〈五月革命〉を嚆矢(こうし)とし,翌69年のイタリアの職場反乱に後続され,以降70年代から現在に至るイギリス,フランス,日本,アメリカでのおもに企業倒産,工場閉鎖に抗しての工場占拠・自主管理闘争へと継承されている。…

※「連帯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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