改訂新版 世界大百科事典 「ダビンシュウェティー」の意味・わかりやすい解説
ダビンシュウェティー
Tabinshwehti
生没年:1516-50
タウングー朝ビルマの実質的創建者。在位1531-50年。パガン朝の崩壊,シャン系王朝の成立に伴い南部へ移動したビルマ族が13世紀末ごろ構築したシッタウン河畔のタウングーで,その地の支配者の家系に生まれた。父ミンチーニョーの死によって1530年タウングーの城主となり,その5年後ビルマ族による国土の統一に乗り出した。タカユッピの支配下にあるモン族のペグー朝を攻撃,38年ペグー,41年マルタバン(モウタマ),42年プロームを陥れ,43年には中部ビルマを平定,パガンで上ビルマの王に即位,2年後にはモン式典礼にのっとってモン族の王にも即位した。王の国土統一は,多数のポルトガル人傭兵と火器の助けによるところが大きい。だが46-47年のアラカン国攻撃や47-48年のアユタヤ朝遠征には,いずれも失敗した。50年,シッタウンのモン族太守スミム・ソートゥーの謀略によって殺害された。
執筆者:大野 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報